「わら一本の革命」・福岡正信・何もしないのが最高の農法になる
この「わら一本の革命」というのは、あるフランス人映画監督との出会いです。
日本の「持続可能な取り組み」という題材で映画を制作され、その中でランチセッションする機会があり、この本を紹介され読んでみようという気になりました。
著者の福岡正信さんは25歳の時に肺に大病を患い、それがきっかけで自然農法に目覚めました。
世の中で大成する人っていうのは、長期に入院を余儀なくされた人、監獄に入れられた人、大きな借金を背負った人を言われる事もありますが、その長い逆境が人を成長させるという尊さも考えなければなりません。
病気で死のふちをさまよった時に、「人間の知恵と力は全く役に立ってないことに25歳の春、気がついた。自分の生き方は自然農法をやって百姓になって生きていくだけだと。食って寝て生きていればいいという結論が出てしまった」とういことです。
福岡さんは、愛媛県伊予市の村長さんの家のでで、現在の岐阜大学で農業を学び、研究者として勤めていましたが、そのキャリアを捨てて、自然農法を実践することになります。
モットー「いかにしたら昼寝ができる時間が多いか」
モットーが面白くて「いかにしたら昼寝ができる時間が多いか、それが最大のモットーである。何もしないようにするにはどうしたらいいか」という事を言われてます。人間の一切の科学的知識が無駄に終わるということを証明しようとしている。やればやるほど自然から離れて人間の知恵でやるほど難しくなる。
何もしないというのはつまり農業にとって必要と考える、肥料をやったり、耕したり、農薬を使ったり、雑草をとったりということをしないということです。
奇跡のリンゴで知られる、木村秋則さんは自然農法を目覚めた理由を、死のうと思って山に登って、そこに雑草が生い茂った中で木が見事に成長している。人間の手が何も入ってないこの土地で。ということを知り、自然農法に目覚めたとテレビなどで紹介されていますが、書店でこの「わら一本の革命」を手に取ったことを自然農法に目覚めた一つであるとも語っているそうです。
テレビというのは多面的に物事を捉えることをしないで、一方向からの視聴者にみられる番組、恐怖感を植え付けたり、美化したりするのがお家芸ですから、テレビっ子でテレビの報道に同調して恐怖心や心配の心が芽生えている方が、本当に気の毒ともおもいます。
自然が主役という信念は95歳でなくなるまで変わりませんでした。
自然が作っているんだ、人間が作っているんじゃない
- 人間が生産しているんじゃない。
- 自然が作っているだと、これは。草一本、人間が作っているんじゃない。
- 自然が作ってるんだ。
やせた土から農園を作る際にこのように語っています。
すでに土の中にはすべて草木に必要なものが揃っている。しかしこの土を掘り返して、固まりのような土がアルミニウムで、これがすべての必要なものを囲っている。ちょうど一握りにお金持ちが資産を抱えこんでいるように。そして、市場に回さないと不景気になる。だからお金を市場に配布するように、土をばらしてあげる手伝いをしてあげる、そうすると、土地は豊になると。
今の資本主義、経済の仕組み、世の中の仕組みを、この自然農法から的確に見つめれておられるなーと思います。
物を必要とする条件を作っておいて、物に価値があるのではない
- 人間は何もしなくても楽しかったのに何かすれば喜びがますように思った
- 物に価値があるのではないのに
- ものを必要とする条件を作って置いて
- 物に価値があるように錯覚した
- すべては自然を離れた人間の一人相撲だ
- 無智、無価値、無為の自然に帰る意外に道はない
- 一切が空いことを知れば 一切が蘇る
現在のビジネス、マーケテイングをやっている方々ならわかると思いますが、今現在行われている事っていうのは、価値のない物にいかに価値があるように見せるか、ブランディングするか、そのようなことをやっています。鋭い視点です。
一方で、福岡さんの発言を聞いていると世捨て人のような印象も受けますが、結婚もされ、お子さんや孫もおられて、今はお孫さんが福岡正信自然農園を引き継がれて運営されています。これは本で読んでいるだけではわかりませんので、一度現地に趣き、話を聞いてみたいものです。
福岡正信自然農法
著書「わら一本の革命」
この本は、One-Straw Revolutionという題で英訳され、世界各国で読まれています。ですので、フランス人経由でこの本を知ったのもその為でしょう。
また福岡さんは、自然農法を世界各国で広める運動もされて入り、アジア・アフリカを中心に飛び回っていたとのことです。その活動は80歳を超えてからも続き、積極的に行動されていたように思われます。
自然農法 わら一本の革命
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