※本記事は、烏原貯水池・烏原水源を近代水道システムとして再構築する調査記事の一部です。全体像は「烏原貯水池とは何か」にまとめています。
はじめに|烏原貯水池にあった「自動扉門」とは何か
神戸市兵庫区北部にある烏原貯水池は、神戸近代水道を支えた重要な水源施設である。
その中心にある立ヶ畑堰堤について資料を調べていく中で、明治・大正期の文献に「自動扉」「自動扉門」という記述が出てくることが分かった。
特に、大正11年刊行の『神戸市水道拡張誌 上巻』には、鳥原貯水池の放水口について、「レーノールド」氏自動扉門を設置したとの記述がある。
ただし、この「レーノールド」氏自動扉門が具体的にどのような機構であったのか、誰の技術に由来するのか、資料中で詳しく定義されているわけではない。
本記事では、明治43年『神戸市水道誌』、大正11年『神戸市水道拡張誌 上巻・附図』、昭和48年『神戸市水道七十年史』、松下眞氏の論文、そして現在の立ヶ畑堰堤の現地確認をもとに、「レーノールド」氏自動扉門とは何だったのかを検証する。

明治43年『神戸市水道誌』に見える「鐵製の自動扉」
まず確認できるのが、明治43年刊行の『神戸市水道誌』である。
同書の烏原水源に関する記述には、「鐵製の自動扉」という表現が見える。
この時点では、「レーノールド」氏自動扉門という名称ではなく、鉄製の自動扉として説明されている。
つまり、烏原貯水池・立ヶ畑堰堤には、明治期の時点で鉄製の自動扉が設けられていたことが資料上確認できる。

大正11年『神戸市水道拡張誌 上巻』の「レーノールド」氏自動扉門
次に重要なのが、大正11年刊行の『神戸市水道拡張誌 上巻』である。
同書の鳥原貯水池に関する記述には、放水口について、「レーノールド」氏自動扉門を設置したと記されている。
ここで注意したいのは表記である。
一次資料では、カタカナ部分の 「レーノールド」 がカギ括弧で括られ、その後に 氏自動扉門 と続いている。
現時点で確認できる範囲では、「レーノールド」氏自動扉門という名称は、この大正11年『神戸市水道拡張誌 上巻』の鳥原貯水池・立ヶ畑堰堤に関する記述で確認できるものである。
一方で、同書の中で「レーノールド」氏とは誰なのか、どのような技術なのか、具体的な作動機構が何であったのかまでは詳しく説明されていない。
そのため、本記事では、「レーノールド」氏自動扉門を、烏原貯水池・立ヶ畑堰堤の放水口に設けられた自動扉門を指す資料上の名称として扱う。

『神戸市水道拡張誌 附図』に描かれた鳥原貯水池堰堤増築図
大正11年『神戸市水道拡張誌 附図』には、「鳥原貯水池堰堤増築図」が収録されている。
この図面は、鳥原貯水池の9フィート嵩上げ後の増築図と考えられる。
図面には、放水口正面・放水口後面などが描かれており、放水口正面には鉄扉が確認できる。
この鉄扉は、上下方向にスライドする構造として描かれているように見える。
松下眞氏の論文「佐野藤次郎と初期の神戸水道におけるイギリスの影響」に掲載された「鳥原ダムの扉門とアーチ」は、この大正11年附図を参照したものと考えられる。
つまり、松下眞論文の比較図面は、竣工当初の図面というより、9フィート嵩上げ後の立ヶ畑堰堤の放水口・鉄扉を示す図面として読む必要がある。


昭和48年『神戸市水道七十年史』に残る自動扉の説明
昭和48年刊行の『神戸市水道七十年史』にも、烏原堰堤の自動扉に関する記述が残されている。
同書では、烏原堰堤について、中央部に4個の溢流口を設け、満水を越えると自動扉が開き、秒速最大18.33立方メートルの水量を放出すると説明されている。
さらに、立ヶ畑堰堤の設計変更に関する説明の中では、堰堤付近に溢流口を必要としたものの適地がなかったため、堰堤の中間12.12メートルの部分を鉄製自動扉門とし、水が越流できる形状にしたことが記されている。
これは、鉄製自動扉門が単なる付属設備ではなく、立ヶ畑堰堤の設計そのものに関わる重要な構造であったことを示している。
つまり、烏原貯水池・立ヶ畑堰堤の自動扉門は、満水時に自動的に開き、放水量を増やすための鉄製設備であったことが分かる。


現地確認|現在の立ヶ畑堰堤本体にも鉄扉が残っていた
今回、現地で立ヶ畑堰堤本体を改めて確認したところ、堰堤本体の放水口付近に鉄扉が残っていることを確認した。
これは大きな確認である。
大正11年『神戸市水道拡張誌 附図』の「鳥原貯水池堰堤増築図」に描かれた鉄扉と、現在の立ヶ畑堰堤本体に残る鉄扉は、位置関係として対応する可能性が高い。
ただし、現地の鉄扉は錆が進んでおり、当時の意匠や細部の機構までは判定しにくい。
また、堰堤上部の石材が張り出しているため、鉄扉を正面から安全に撮影することが難しかった。
スマートフォンを持ったまま大きく身を乗り出す必要があり、今回は安全を優先して、斜め上方からの確認写真にとどめた。
今後、自撮り棒などを用いれば、より正面に近い角度から鉄扉の形状や左右のレール、上部機構を確認できる可能性がある。



これは「レーノールド」氏自動扉門なのか
では、現在の立ヶ畑堰堤本体に残る鉄扉は、大正11年『神戸市水道拡張誌 上巻』に記された 「レーノールド」氏自動扉門 なのか。
現時点では、断定はできない。
しかし、次の点は強く接続している。
・大正11年『神戸市水道拡張誌 上巻』に、鳥原貯水池の放水口として 「レーノールド」氏自動扉門 が記されている。
・大正11年『神戸市水道拡張誌 附図』には、鳥原貯水池堰堤増築図として、放水口正面に鉄扉が描かれている。
・昭和48年『神戸市水道七十年史』には、満水時に自動扉が開き、放水量を増やす説明がある。
・現在の立ヶ畑堰堤本体にも、同位置と見られる場所に鉄扉が残っている。
したがって、現在の立ヶ畑堰堤本体に残る鉄扉は、資料上の 「レーノールド」氏自動扉門 に関係する可能性が高い。
ただし、現存する鉄扉が当初の部材そのものなのか、後年に更新・改修されたものなのか、また自動開閉機構が現在どこまで残っているのかは、今後さらに確認が必要である。
締切堰堤の鉄扉とは機構が違う可能性が高い
これまで、烏原水源上流側の締切堰堤に残る鉄製扉も、関連する可能性があると考えていた。
しかし、現地確認と図面の比較を進めると、立ヶ畑堰堤本体の鉄扉と締切堰堤の鉄扉は、機構が異なる可能性が高い。
立ヶ畑堰堤本体の鉄扉は、大正11年附図や松下眞論文の比較図面を見る限り、上下にスライドする構造に見える。
一方、締切堰堤の鉄扉は、チェーンで前方に開く構造に見える。
いわゆる前方開閉型の扉であり、立ヶ畑堰堤本体の上下スライド式とは別機構として扱う必要がある。
そのため、締切堰堤の鉄扉を、立ヶ畑堰堤本体の 「レーノールド」氏自動扉門 と単純に同一視することは避けたい。

キャプション:
烏原水源上流側に残る締切堰堤。鉄製扉が確認できるが、立ヶ畑堰堤本体の鉄扉とは別機構に見える。

千苅貯水池の記述は補助線として扱う
「レーノールド」氏自動扉門の仕組みを考えるうえで、千苅貯水池の記述も参考になる。
大正11年『神戸市水道拡張誌 下巻』の千苅貯水池に関する記述には、鉄製扉について、各口に掛けられ、水の浮力を利用して自動的に開閉する装置であると説明されている。
これは、自動扉門の仕組みを考えるうえで重要な記述である。
ただし、現時点で確認できる範囲では、千苅貯水池の鉄製扉が 「レーノールド」氏自動扉門 と呼ばれているわけではない。
また、千苅の構造をそのまま烏原貯水池・立ヶ畑堰堤に当てはめることもできない。
したがって、本記事では、千苅貯水池の記述を、自動扉門の機構を考えるうえでの補助線として扱うにとどめる。


松下眞論文の「鳥原ダムの扉門とアーチ」をどう読むか
松下眞氏の論文では、イギリス水道技術との関係を示す資料として、バートガールダムの扉門と「鳥原ダムの扉門とアーチ」が比較されている。
また、マグドックのトンネル出口と鳥原ダム上流の放水門の比較も示されている。
この比較は、烏原水源にイギリス水道技術の影響を見るうえで興味深い。
ただし、論文中の「鳥原ダムの扉門とアーチ」は、大正11年『神戸市水道拡張誌 附図』の「鳥原貯水池堰堤増築図」を参照したものと考えられる。
つまり、松下眞論文の図版は、9フィート嵩上げ後の立ヶ畑堰堤の放水口・鉄扉を示す図面に基づいている可能性が高い。
また、松下眞論文は、バートガールダムとの比較を示しているが、「レーノールド」氏自動扉門そのものの技術的定義を説明しているわけではない。
したがって、松下眞論文を読む際には、次のように整理する必要がある。
・論文は、イギリス水道技術との比較として重要である。
・「鳥原ダムの扉門とアーチ」は、大正11年附図の鳥原貯水池堰堤増築図に基づく可能性が高い。
・その図面は、嵩上げ後の立ヶ畑堰堤の鉄扉を示している。
・しかし、論文自体は「レーノールド」氏自動扉門の定義を示しているわけではない。


まとめ|「レーノールド」氏自動扉門について現時点で分かったこと
今回の調査で分かったことは、次の通りである。
明治43年『神戸市水道誌』には、烏原水源について 「鐵製の自動扉」 という記述がある。
大正11年『神戸市水道拡張誌 上巻』には、鳥原貯水池の放水口について 「レーノールド」氏自動扉門 と記されている。
昭和48年『神戸市水道七十年史』には、烏原堰堤の中央部に4個の溢流口があり、満水を越えると自動扉が開いて放流するという説明が残る。
大正11年『神戸市水道拡張誌 附図』の鳥原貯水池堰堤増築図には、放水口正面の鉄扉が描かれている。
そして、今回の現地確認により、現在の立ヶ畑堰堤本体にも、同位置と考えられる場所に鉄扉が残っていることを確認した。
このことから、烏原貯水池・立ヶ畑堰堤には、満水時に自動的に開いて放水量を増やす鉄製自動扉門が存在していたことは、資料と現地の両面から確認できる。
一方で、現時点では分からないことも多い。
「レーノールド」氏とは誰なのか。
この自動扉門の正確な技術的定義は何なのか。
現存する鉄扉が当時の部材そのものなのか、後年に更新・改修されたものなのか。
自動開閉機構が現在どこまで残っているのか。
締切堰堤の鉄扉や千苅貯水池の自動扉と、どこまで同じ系統として考えてよいのか。
これらは、今後の調査課題である。
ただし、少なくとも現時点では、「レーノールド」氏自動扉門を締切堰堤や千苅ダムまで一括して同じものとみなすことは避けるべきである。
まずは、一次資料にその名称が出てくる烏原貯水池・立ヶ畑堰堤本体の放水口鉄扉を中心に検証する必要がある。
今回の記事は、そのための中間報告である。
【関連記事】
今後の調査課題
今後確認したい点は、次の通りである。
・立ヶ畑堰堤本体に残る鉄扉を、より正面に近い角度から撮影すること。
・鉄扉の左右に上下スライド用のレールや溝が残っているか確認すること。
・上部機構、歯車、シャフト、巻上げ部の痕跡を確認すること。
・水道局に、現存鉄扉が当初の「レーノールド」氏自動扉門に関係するものか確認すること。
・大正期以降の改修・更新記録を確認すること。
・「レーノールド」氏という名称の由来や、関連する外国技術の出典を確認すること。
・締切堰堤の鉄扉、千苅貯水池の鉄扉とは、別系統として比較検討すること。
この調査を進めることで、烏原貯水池・立ヶ畑堰堤に残る鉄扉の意味が、より明確になっていくはずである。
参考文献・参考資料
一次資料・神戸市発行資料
- 神戸市 編『神戸市水道誌』神戸市、明治43年(1910年)
烏原水源・立ヶ畑堰堤に関する記述を確認。本文中に「鐵製の自動扉」の記述が見える。 - 神戸市 編『神戸市水道拡張誌 上巻』神戸市、大正11年(1922年)
鳥原貯水池・立ヶ畑堰堤の放水口に関する記述を確認。本文中に「レーノールド」氏自動扉門の表記が見える。 - 神戸市 編『神戸市水道拡張誌 下巻』神戸市、大正11年(1922年)
千苅貯水池の鉄製扉に関する記述を確認。水の浮力を利用して自動的に開閉する装置である旨の説明が見える。 - 神戸市 編『神戸市水道拡張誌 附図』神戸市、大正11年(1922年)
「鳥原貯水池堰堤増築図」および「千苅貯水池堰堤図」を確認。鳥原貯水池堰堤増築図には、放水口正面の鉄扉が描かれている。
後年の神戸市水道史資料
- 神戸市水道局『神戸市水道七十年史』神戸市水道局、昭和48年(1973年)
烏原堰堤の溢流口、自動扉、設計変更に関する記述を確認。満水を越えると自動扉が開き、放水する旨の説明がある。
論文
- 松下眞「佐野藤次郎と初期の神戸水道におけるイギリスの影響」『土木史研究 論文集』Vol.24、2005年
初期神戸水道におけるイギリス水道技術の影響を論じた論文。バートガールダムの扉門と「鳥原ダムの扉門とアーチ」の比較図、マグドックのトンネル出口と鳥原ダム上流の放水門の比較写真を参照。
現地調査
- 烏原貯水池・立ヶ畑堰堤 現地調査
調査日:2026年6月
立ヶ畑堰堤本体の放水口付近に鉄扉が残ることを確認。大正11年『神戸市水道拡張誌 附図』の「鳥原貯水池堰堤増築図」に描かれた鉄扉との位置関係を比較した。 - 烏原水源・締切堰堤 現地調査
調査日:2026年6月
締切堰堤に残る鉄製扉を確認。ただし、立ヶ畑堰堤本体の鉄扉とは機構が異なる可能性があるため、本記事では別系統の構造物として扱った。
烏原貯水池・烏原水源の全体像は、こちらにまとめています。



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