はじめに|烏原水源の全体像が見える図面に出会った
烏原貯水池周辺には、石積みの堰堤、水路跡、水路橋など、現在の地図だけでは役割が分かりにくい遺構が点在している。
しかし、大正11年刊行の『神戸市水道拡張誌 附図』を見ると、それらが烏原水源を構成する一連の施設だったことが分かる。
本記事では、同附図をもとに、烏原貯水池、立ヶ畑堰堤、天王導水路、石井川水路橋の全体像を俯瞰する。
今回の記事では、『神戸市水道拡張誌 附図』に収録された烏原水源関係の図面をもとに、烏原貯水池、立ヶ畑堰堤、天王導水路、石井川水路橋の全体像を俯瞰したい。
なお、『神戸市水道拡張誌 附図』の図名では「鳥原」と表記されている箇所がある。本記事では、現在一般的に用いられる「烏原」の表記を基本とする。

『神戸市水道拡張誌 附図』とは
『神戸市水道拡張誌 附図』は、神戸市が大正11年に刊行した水道拡張事業の図面集である。
本文だけでは分かりにくい水源、堰堤、導水路、浄水場、配水施設などの配置や構造が、図面として詳細に記録されている。
今回注目するのは、その中でも烏原水源に関する図面群である。
主な図面は以下の通り。
- 第參圖 鳥原水源 貯水池平面圖
- 第四圖 同 貯水池堰堤附近平面圖
- 第五圖 同 貯水池堰堤増築圖 其壹
- 第六圖 同 同 其貳
- 第七圖 同 量水堰堤増築圖
- 第八圖 同 混藥室圖
- 第九圖 同 淨水設備局部圖
- 第拾圖 同 事務所圖
- 第拾壹圖 天王水源 取水堰堤圖
- 第貳拾四圖 鳥原導水路 平面及縦斷圖
- 第貳拾五圖 同 石井川水路橋圖
- 第貳拾六圖 天王導水路 平面圖
- 第貳拾七圖 同 詳細圖
これらを通して見えてくるのは、烏原水源が単なる貯水池ではなかったということである。
烏原谷・天王谷川・石井川の水を集め、堰堤で貯え、量水施設で測り、沈澱・薬品処理を行い、導水路によって奥平野浄水場方面へ送る。
その一連の仕組みが、図面として具体的に残されている。
第參圖|烏原水源の全体像が見える「貯水池平面圖」
まず重要なのが、第參圖「鳥原水源 貯水池平面圖」である。
この図面には、烏原貯水池本体だけでなく、周辺の谷、水路、堰堤、導水施設が一体として描かれている。
図面を見ると、烏原貯水池、石井川、天王谷川、分水堰堤、締切堰堤、放水門、天王谷川側からの導水路、石井川方面の水路橋などの関係が読み取れる。
つまりこの図面は、烏原水源全体の「水の流れ」を理解するための基本図である。
現地で見ると、名称不明の堰堤や水路跡に見えるものでも、この図面と照合することで、烏原水源の中でどのような役割を持っていたのかを考える手がかりになる。

出典:神戸市 編『神戸市水道拡張誌』附図、神戸市、大正11年。国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/970721 (参照 2026-05-07)
現在の川名と水の流れを重ねると、さらに分かりやすい
第參圖はそのまま見ても貴重な一次資料である。
ただし、現在の地形や川名を知らない読者にとっては、どこが石井川で、どこが天王谷川なのか分かりにくい。
そこで、原図とは別に、現在の川名と水の流れを加筆した補助図を用意すると理解しやすい。
加筆する要素は、以下に絞るとよい。
- 烏原貯水池
- 石井川
- 天王谷川
- 分水堰堤
- 締切堰堤
- 放水門
- 天王導水路
- 烏原導水路
- 石井川水路橋
- 奥平野浄水場方面
このように図面に現在の川名と水の流れを重ねると、烏原水源が「水を貯める場所」ではなく、「水を集め、制御し、送り出す施設」だったことが一目で分かる。

https://dl.ndl.go.jp/pid/970721 (参照 2026-05-07)
※川名・水の流れ・施設名の注記は筆者による加筆。
第四圖|鳥原貯水池堰堤周辺を詳しく示す平面図
第參圖が烏原水源全体の図だとすれば、第四圖「鳥原貯水池堰堤附近平面圖」は、堰堤周辺を詳しく描いた図である。
この図面には、堰堤本体だけでなく、堰堤外側の沈澄池、混薬室、量水池、水塔などが描かれている。
本文にある「貯水池堰堤の外側に沈澄池あり」という記述は、この図面によって具体的な位置関係として確認できる。
つまり、烏原貯水池の水は、堰堤からそのまま市街地へ送られたのではない。
水塔から取り入れられ、量水池を経て沈澱池に入り、さらに導水管へ送られる仕組みになっていた。

https://dl.ndl.go.jp/pid/970721 (参照 2026-05-07)

第五圖・第六圖|堰堤は完成後も増築されていた
第五圖と第六圖は、「鳥原貯水池堰堤増築圖」である。
烏原貯水池の英文銘板には、
DAM RAISED 9 FT DURING 1913—14
という記載がある。
これは、大正2年から大正3年にかけて、堰堤が9フィート嵩上げされたことを示すものと考えられる。
第五圖・第六圖の堰堤増築図は、この嵩上げや補強の構造を理解するための重要な図面である。
現地で堰堤を見るだけでは、どこが当初の構造で、どこが増築部分なのかは分かりにくい。
しかし、増築図を確認することで、堰堤が完成後も水需要に応じて改修・増強されていたことが見えてくる。

出典:神戸市 編『神戸市水道拡張誌』附図、神戸市、大正11年。国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/970721 (参照 2026-05-07)

出典:神戸市 編『神戸市水道拡張誌』附図、神戸市、大正11年。国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/970721 (参照 2026-05-07)

第七圖・第八圖・第九圖|量水・混薬・水処理の仕組み
第七圖は「量水堰堤増築圖」、第八圖は「混藥室圖」、第九圖は「淨水設備局部圖」である。
これらは一見すると細かな設備図に見えるが、烏原水源の性格を理解するうえで重要である。
なぜなら、ここから見えてくるのは、烏原水源が単に自然の谷を堰き止めた施設ではなく、水量を測り、薬品を用いて水を処理し、導水する近代水道施設だったという点だからである。
『神戸市水道拡張誌』本文には、水の清澄のために硫酸アルミニュームを用いたこと、池の流入口にあたる量水池で水量に応じて薬液を注入したことが記されている。
混薬室図や浄水設備局部図は、その記述を裏づける図面である。

出典:神戸市 編『神戸市水道拡張誌』附図、神戸市、大正11年。国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/970721 (参照 2026-05-07)

図7 『神戸市水道拡張誌』附図「第八圖 鳥原水源 混藥室圖」。硫酸アルミニュームを用いた清澄処理に関係する施設である。
出典:神戸市 編『神戸市水道拡張誌』附図、神戸市、大正11年。国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/970721 (参照 2026-05-07)

出典:神戸市 編『神戸市水道拡張誌』附図、神戸市、大正11年。国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/970721 (参照 2026-05-07)
第拾圖・第拾壹圖|水源地は管理施設と取水施設を備えていた
第拾圖は「事務所圖」、第拾壹圖は「天王水源 取水堰堤圖」である。
事務所図が収録されていることは、烏原水源が単なる山中の構造物ではなく、管理・運用される施設だったことを示している。
また、天王水源取水堰堤図は、烏原水源が烏原谷だけで完結する施設ではなく、天王谷川側の水も取り込みながら構成されていたことを示す。

出典:神戸市 編『神戸市水道拡張誌』附図、神戸市、大正11年。国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/970721 (参照 2026-05-07)

出典:神戸市 編『神戸市水道拡張誌』附図、神戸市、大正11年。国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/970721 (参照 2026-05-07)
第貳拾四圖・第貳拾五圖|烏原導水路と石井川水路橋
第貳拾四圖は「鳥原導水路 平面及縦斷圖」、第貳拾五圖は「鳥原導水路 石井川水路橋圖」である。
これらは、烏原貯水池から奥平野浄水場方面へ水を送るルートを理解するうえで重要な図面である。
『神戸市水道拡張誌』本文には、烏原貯水池から出た二十四吋鉄管が、石井川右岸に沿って南下し、平烏橋・天王橋を渡り、東走して奥平野浄水構場へ至ることが記されている。
第貳拾四圖は、その導水路のルートと高低差を示し、第貳拾五圖は石井川を越えるための水路橋の構造を示している。
現地に残る石井川水路橋は、単なる古い橋ではない。
烏原貯水池から奥平野浄水場方面へ水を送るため、石井川を越えて導水路を通すための施設だったことが分かる。

出典:神戸市 編『神戸市水道拡張誌』附図、神戸市、大正11年。国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/970721 (参照 2026-05-07)

出典:神戸市 編『神戸市水道拡張誌』附図、神戸市、大正11年。国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/970721 (参照 2026-05-07)

第貳拾六圖・第貳拾七圖|天王導水路は別系統として描かれている
第貳拾六圖は「天王導水路 平面圖」、第貳拾七圖は「天王導水路 詳細圖」である。
ここで重要なのは、石井川水路橋と天王導水路が別々の図面として収録されている点である。
現在、経済産業省の近代化産業遺産資料などでは「烏原導水路石井川・天王谷川水路橋」という名称で整理されている。
しかし、大正11年の『神戸市水道拡張誌 附図』では、
- 第貳拾五圖 鳥原導水路 石井川水路橋圖
- 第貳拾六圖 天王導水路 平面圖
- 第貳拾七圖 天王導水路 詳細圖
として収録されている。
このことから、石井川水路橋と天王導水路は、烏原水源を構成する一連の施設ではあるものの、図面上は別系統の施設として扱われていたことが分かる。
私自身も当初は、石井川側と天王谷川側を一体の施設として理解していた。
しかし、一次資料である『神戸市水道拡張誌 附図』を確認すると、両者の関係はより複雑で、別系統として整理する必要があることが見えてきた。

出典:神戸市 編『神戸市水道拡張誌』附図、神戸市、大正11年。国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/970721 (参照 2026-05-07)

出典:神戸市 編『神戸市水道拡張誌』附図、神戸市、大正11年。国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/970721 (参照 2026-05-07)
まとめ|図面が教えてくれる烏原水源の姿
『神戸市水道拡張誌 附図』を並べて見ると、烏原水源は単なる貯水池ではなく、貯水池、堰堤、沈澱池、混薬室、量水施設、導水路、水路橋が組み合わされた水道システムだったことが分かる。
細部を読み込む前に、まず全体を眺める。
それだけでも、現地に残る遺構の見え方は大きく変わる。
本記事では全体像の俯瞰にとどめた。
今後は、各図面を現地写真と照合しながら、個別の施設を詳しく見ていきたい。
参考文献
神戸市 編『神戸市水道拡張誌』附図、神戸市、大正11年。国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/970721 (参照 2026-05-07)


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