概要
なぜ、大雨が降っても神戸の水道水は濁った水をそのまま貯めなかったのか?
1905年(明治38年)に竣工した烏原貯水池(立ヶ畑堰堤)は、単なる「水をためるダム」ではありません。
佐野藤次郎が設計したこの水源地最大の特徴は、濁った水を沈めるのではなく、最初から貯水池に入れないという発想にあります。
布引水源での経験から、大雨後の濁水は数日では収まらず、沈澄池だけでは限界があることが判明しました。そこで烏原では、濁水そのものを迂回させる濁水バイパス水路へと設計思想が転換されます。
つまり烏原貯水池は、
「水を逃がし・整え・選ぶ」
という、明治期としては極めて高度な水管理システムだったのです。
なぜ「沈める」から「入れない」へ変わったのか
当初計画では、烏原谷貯水池直下に沈澄池(濁水を沈める池)を設置する予定でした。
しかし布引貯水池の実例では、大雨後1週間〜10日も濁りが継続することが判明。これでは沈澄池処理だけでは不十分で、池全体が濁る危険がありました。
そこで採用されたのが、
濁水はバイパス水路へ流し、貯水池に入れない
という、日本近代水道史上きわめて先進的な判断でした。
流域面積表(参照『神戸市水道誌』)
| 区分 | 面積(平方尺) | 現代面積(㎡) | 広さの目安 |
|---|---|---|---|
| 本流 | 9,700,000 | 約890,700㎡ | 東京ドーム約19個分 |
| 支流 | 4,145,000 | 約380,600㎡ | 東京ドーム約8個分 |
| 合計 | 13,845,000 | 約1,271,300㎡ | 甲子園球場約32個分 |
烏原水源の本流・支流流域面積。放水路規模は流域全体を前提に設計されていた。
烏原貯水池を支える「3つの水管理システム」
木谿(現・イガヤ谷川)分水堰堤|水を選ぶ(フィルター)
ここが烏原最大の知性です。
特に濁りやすいイガヤ谷川(伊屋渓)の水に対し、
濁水は捨てる
清水だけ取る
濁水は捨てる
という思想が導入されました。
内部には多数の小孔を持つ濾過管が設置され、砂礫を通した清水のみを選別します。
【烏原水源木谿分水堰堤 全景】
イガヤ谷川側の分水堰堤。濁りやすい支流を制御する施設。
放水路締切堰堤|水の流れを整える(制御)
放水門から流れる水を整理し、安全に下流へ導く「水の交通整理役」です。
- 堤長:約16.1m(53尺2寸)
- 最大高:約7.6m(25尺)
単に排出するのではなく、「どう流すか」を制御することで、水害リスクを抑えます。
【放水路締切堰堤 正面】

放水門|水を逃がす(出口)
大雨時、余分な水を安全に下流へ流し、ダム本体を守るための安全装置です。
四連アーチの意匠には、英国技術と明治日本の設計思想が融合しています。
現地調査では、放水門正面のコンクリートブロックに直接刻まれた**「放水門」**の文字と、第13代兵庫県知事・服部一三の名を確認。
これは単なる装飾ではなく、構造物そのものに刻まれた「責任の証」です。
【烏原水源放水門 正面】
放水門正面。服部一三の名が刻まれた「放水門」の刻字を確認。
【放水門 上部滑車】
放水門上部の鋳鉄製滑車。約120年前の開閉システムが現存。

【放水門 背面】
烏原放水門背面。複数水系が合流する重要地点。石畳の造り。良い子は真似しないように。
消えた村の記憶|放水門に埋め込まれた「石臼」
放水門正面横には、烏原村で使われていた石臼が確認できます。
これは、水没した烏原村の水車産業の痕跡です。
近代化の象徴である放水門の入口に、旧村の生活を支えた石臼が残されている。
そこには、単なる土木構造物を超えた「失われた民の歴史」が刻まれています。
【放水門横の石臼】
烏原水源放水門横に確認できる石臼。水没した烏原村の水車産業の記憶。
【放水路締切堰堤 正面】
下流側から見た烏原水源締切堰堤。濁水バイパス水路を支える制御施設。
【放水路 石張水路】
挿入箇所:本文ここ
キャプション: 石張りが残る明治期放水路。濁水を池に入れず下流へ導く。石張りが残る明治期放水路。濁水を池に入れず下流へ導く。
水系全体図|烏原川・イガヤ谷川・天王谷川
烏原貯水池は、単体ダムではなく複数水系を制御するネットワークです。
- 烏原川(主流)
- イガヤ谷川(濁水選別)
- 天王谷川(外部導水)
【図解:烏原水源 水系マップ】
烏原川・イガヤ谷川・天王谷川の水管理ネットワーク。濁水を池に入れない設計思想を可視化。
【動画:上流ポンプ管理場】
烏原川・現況
烏原川本流。貯水池へ至る主要水路。
天王谷川・現況
有馬街道沿いにある第3平野橋。天王谷川が流れる。
■ システムの要点
流れ → 整える(締切堰堤)
水質 → 選ぶ(分水堰堤)
多すぎる水 → 逃がす(放水門)
結論
烏原貯水池の水は、
「ためる」のではない。
「濁水を池に入れない」のである。
1905年(明治38年)に竣工した烏原貯水池(立ヶ畑堰堤)は、
単なる貯水ダムではありません。
濁水を池に入れず、必要な水だけを選びながら使う。
それは、放水門・分水堰堤・締切堰堤が連動することで実現した、
日本近代水道史における「選別型ダム」
でした。
参考文献
・神戸市(1910)『神戸市水道誌』神戸市.
・現地調査














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