ダム工学会・第3回水道ダム交流講演会 神戸編|普段は入れない布引ダム「五本松堰堤」を歩く

五本松堰堤上部に残る英文銘板。吉村長策、佐野藤次郎、浅見忠治の名と「WORKS COMPLETED JAN. 1900」の文字が刻まれている。2026年8月27日撮影。

2026年8月27日、一般社団法人ダム工学会が主催する「第3回 水道ダム交流講演会 神戸編」に参加しました。

午前は布引ダムと雌滝取水堰堤の現地見学、午後は水道ダムをテーマとした講演会です。公式プログラムにも、神戸編の見学先として布引ダム・雌滝取水堰堤が記されています。

これまでKobe Alps Labでは、

  • 五本松堰堤がどのように造られたのか
  • 布引の水がどのように奥平野浄水場へ送られるのか

を明治期の資料と現地写真から調べてきました。

今回はその続編として、通常は立ち入ることのできない五本松堰堤上部や雌滝取水堰堤を実際に歩き、明治33年(1900)に完成した布引ダムが、その後どのように守られながら現在まで使われてきたのかを見ていきます。


目次

関連記事

第1回|造る

第2回|運ぶ


歩いて風の丘中間駅へ

公式行程では、9時30分にハーブ園山麓駅へ集合し、ロープウェーで風の丘中間駅へ移動する予定でした。

私は普段から山を歩いているため、今回は徒歩で中間駅へ向かいました。

中間駅で参加者と合流し、水道局の方々の説明を聞きながら布引ダムへ向かいます。


水不足で水位が下がった布引貯水池

五本松堰堤に到着すると、布引貯水池の水位は低く、池の周囲には普段は水面下にある土の部分が露出していました。

水位が下がった布引貯水池。池の周囲には普段は水面下にある土の部分が露出していた。2026年8月27日撮影。
水位が下がった布引貯水池。池の周囲には普段は水面下にある土の部分が露出していた。2026年8月27日撮影。

普段は入れない五本松堰堤の上へ

今回の見学で特に貴重だったのが、通常は立入禁止となっている五本松堰堤上部を歩けたことです。

通常は立ち入ることのできない五本松堰堤上部から見た布引貯水池。2026年8月27日撮影。

通常は立ち入ることのできない五本松堰堤上部から見た布引貯水池。2026年8月27日撮影。
通常は立ち入ることのできない五本松堰堤上部から見た布引貯水池。2026年8月27日撮影。
五本松堰堤上部から望む神戸布引ロープウェー。普段のハイキングコースとは異なる角度から布引谷を見ることができた。2026年8月27日撮影。
五本松堰堤上部から望む神戸布引ロープウェー。普段のハイキングコースとは異なる角度から布引谷を見ることができた。2026年8月27日撮影。

現地に残る「五本松堰堤」の名称

堰堤上には、

「布引五本松堰堤 完成明治三十三年三月」

と刻まれた石があります。

「布引五本松堰堤 完成明治三十三年三月」と刻まれた石。現在「布引ダム」と呼ばれる堰堤の歴史的名称が現地にも残る。2026年8月27日撮影。
「布引五本松堰堤 完成明治三十三年三月」と刻まれた石。現在「布引ダム」と呼ばれる堰堤の歴史的名称が現地にも残る。2026年8月27日撮影。

明治43年(1910)の『神戸市水道誌』にも「布引水源五本松堰堤」という名称が記されています。

文献に残る名称と、現在の現地遺構がつながります。

堰堤に刻まれた3人の土木技師

堰堤上には英文の石造銘板も残されています。

CONSULTING ENGINEER. MR. C. YOSHIMURA, C.E.
ENGINEER IN CHIEF. MR. T. SANO, C.E.
RESIDENT ENGINEER. MR. T. ASAMI.
WORKS COMPLETED JAN. 1900

刻まれているのは、

の3人です。

C.E.はCivil Engineer(土木技師)と考えられます。

五本松堰堤上部に残る英文銘板。吉村長策、佐野藤次郎、浅見忠治の名と「WORKS COMPLETED JAN. 1900」の文字が刻まれている。2026年8月27日撮影。
五本松堰堤上部に残る英文銘板。吉村長策、佐野藤次郎、浅見忠治の名と「WORKS COMPLETED JAN. 1900」の文字が刻まれている。2026年8月27日撮影。

現地には「完成明治三十三年三月」とする石がある一方、英文銘板には「JAN. 1900」とあります。

この完成時期の表記の違いについては、今後さらに資料を確認したいところです。


なぜ英文で刻まれたのか

五本松堰堤の銘板で以前から興味を持っていたのが、なぜ日本国内の水道施設に英文で技術者名を刻んだのかという点です。

後に造られた烏原や千苅の水道施設でも英文銘板を見ることができます。

今回の講演では、明治期の神戸と外国人との関わりや、佐野藤次郎が海外の土木技術から影響を受けていたことについても紹介されました。

英文表記の理由については複数の見方が考えられます。

私は、英国をはじめ海外から学んだ近代土木技術への敬意も、その背景の一つにあったのではないかと考えています。

※ここでは講演者個人の発言を逐語的には掲載せず、講演内容を踏まえた筆者の考察として整理しています。


完成後も補強を重ねてきた五本松堰堤

五本松堰堤は、1900年の完成時のまま125年以上使われてきたわけではありません。

現地に残された銘板を追うと、豪雨や地震を経験するたびに補修・補強されてきたことが分かります。

1967年豪雨後の補強

堰堤上に残る「布引ダム補強工事」の銘板には、1967年7月の豪雨によって漏水量が著しく増加したことが記されています。

そのため1967年12月から1968年6月にかけ、堤体コンクリートと基盤岩盤に対するグラウト工事などが行われました。

「布引ダム補強工事」の銘板。1967年7月の豪雨による漏水量増加を受け、1967年12月から1968年6月まで補強工事が行われた。2026年8月27日撮影。
「布引ダム補強工事」の銘板。1967年7月の豪雨による漏水量増加を受け、1967年12月から1968年6月まで補強工事が行われた。2026年8月27日撮影。

阪神・淡路大震災後の災害復旧

1995年1月17日の阪神・淡路大震災では、再び漏水量が増加しました。

現地の「布引ダム災害復旧工事」銘板によると、その後1995年9月から1997年3月まで復旧工事を実施。

カーテングラウトやダム本体へのグラウト注入などが行われています。

「布引ダム災害復旧工事」の銘板。阪神・淡路大震災による漏水量の増加を受け、1995年9月から1997年3月まで復旧工事が実施された。2026年8月27日撮影。
「布引ダム災害復旧工事」の銘板。阪神・淡路大震災による漏水量の増加を受け、1995年9月から1997年3月まで復旧工事が実施された。2026年8月27日撮影。

2001~2005年の耐震補強

さらに恒久的な耐震対策として、2001年8月から2005年3月まで布引ダム耐震補強工事が行われました。

現地銘板には、

  • 補強コンクリート:約3,300m³
  • カーテングラウト:36本、延長約1,545m
  • 堆積土砂撤去:約20万m³
「布引ダム補強工事」の銘板。1967年7月の豪雨による漏水量増加を受け、1967年12月から1968年6月まで補強工事が行われた。2026年8月27日撮影。
「布引ダム補強工事」の銘板。1967年7月の豪雨による漏水量増加を受け、1967年12月から1968年6月まで補強工事が行われた。2026年8月27日撮影。

などの工事内容が記されています。

特に、堤体の上流側に補強コンクリートを増築したことが重要です。

これらを時系列にすると、

1900年 五本松堰堤完成

1967~1968年 豪雨後の補強

1995~1997年 阪神・淡路大震災後の災害復旧

2001~2005年 耐震補強

となります。

明治期の構造物を壊して新しく造り直したのではなく、補修と補強を積み重ねながら使い続けてきたことが分かります。


歴史遺産であり、現役の水道施設

現地には、

  • ダム湖百選「布引貯水池」
  • 「布引水源地水道施設」国指定重要文化財
  • 近代化産業遺産

のプレートが並んでいます。

布引貯水池・五本松堰堤に掲げられた「ダム湖百選」「国指定重要文化財」「近代化産業遺産」のプレート。歴史的価値を評価されながら、現在も水道施設として使われている。2026年8月27日撮影。
布引貯水池・五本松堰堤に掲げられた「ダム湖百選」「国指定重要文化財」「近代化産業遺産」のプレート。歴史的価値を評価されながら、現在も水道施設として使われている。2026年8月27日撮影。

布引ダムの特徴は、単なる保存された土木遺産ではないことです。

歴史的価値を守りながら、現在も現役の水道施設として機能しています。


堰堤上から見る下流側

通常は立ち入れない五本松堰堤上部から見下ろした下流側。布引谷をせき止めた堰堤の高さを実感できる。2026年8月27日撮影。
通常は立ち入れない五本松堰堤上部から見下ろした下流側。布引谷をせき止めた堰堤の高さを実感できる。2026年8月27日撮影。

谷川橋へ

五本松堰堤を下っていくと、谷川橋に差しかかります。

五本松堰堤から下った先にある谷川橋。布引水源地に残る歴史的な水道施設の一つ。2026年8月27日撮影。
五本松堰堤から下った先にある谷川橋。布引水源地に残る歴史的な水道施設の一つ。2026年8月27日撮影。

普段は入れない雌滝取水堰堤を視察

もう一つ今回ならではだったのが、通常は立入禁止となっている雌滝取水堰堤の見学です。

公式プログラムでも、布引ダムとともに現地見学先として指定されています。

普段は人が入らない場所だけあって、見学者が入る前には川鵜がくつろいでいました。

参加者が近づくと、驚いて飛び去っていきました。

通常は立入禁止となっている雌滝取水堰堤。明治33年(1900)に造られた布引水源の取水施設で、現在も利用されている。2026年8月27日撮影。
通常は立入禁止となっている雌滝取水堰堤。明治33年(1900)に造られた布引水源の取水施設で、現在も利用されている。2026年8月27日撮影。

ドーム型の取水施設

雌滝取水堰堤では、石積みの上に設けられたドーム型の施設も目を引きます。

現地案内板によると、堰堤には制水弁が設けられ、ここで取り込まれた水は管路を経て奥平野浄水場へ送られます。

雌滝取水堰堤の案内板または取水塔
雌滝取水堰堤の案内板または取水施設
雌滝取水堰堤の案内板。ここで取り込まれた布引の水は、現在も奥平野浄水場へ送られている。2026年8月27日撮影。
雌滝取水堰堤の案内板。ここで取り込まれた布引の水は、現在も奥平野浄水場へ送られている。2026年8月27日撮影。

第2回の記事で資料から追った「布引の水の道」を、今回は現地で実際に確認することができました。


関連記事

布引ダムから奥平野浄水場までの水の流れはこちら

布引ダムの水はどう神戸へ送られたか|布引の滝から奥平野浄水場まで


125年以上使われ続けるということ

今回の見学で改めて分かったのは、布引水源地水道施設は「昔使われていた水道施設」ではないということです。

明治期に造られた設備を補修・補強しながら、

現在も水を貯め、取り込み、浄水場へ送っています。

古い設備を残すだけなら「保存」ですが、現役施設として使い続けるには、点検、補修、耐震化、更新などが欠かせません。

布引ダムの価値は、

125年以上前に造られたこと

だけではなく、

125年以上にわたって守られ、現在も使われていること

にあるのだと感じました。


午後は水道ダム交流講演会へ

現地見学後は講演会場へ移動しました。

神戸編では、佐野藤次郎、歴史的水道ダム、千苅ダムなどをテーマにした講演が行われています。公式プログラムには各講演の題目と登壇者が公開されています。

午前に実物を見てから午後に歴史や現在の運用を聞くことで、布引水源への理解がさらに深まりました。

そして講演会では、以前から調べていた、

「現在、奥平野浄水場では布引水源がどの程度使われているのか」

についても質問しました。

その結果、公表されている施設能力とは別に、現在の運用を考えるうえで非常に興味深い数字を確認することができました。

その内容は次回の記事で詳しく紹介します。

ここでは個々の質疑応答を逐語的に再現せず、最終的に確認できた情報を整理したうえで扱います。


次回|布引水源は現在どれくらい使われているのか

五本松堰堤も雌滝取水堰堤も、文化財でありながら現在も使われています。

では、その布引水源は現在の神戸水道をどの程度支えているのでしょうか。

次回は、

奥平野浄水場の水はどこから来る?|布引水源は約41%だった

として、今回確認できた現在の水源割合についてまとめます。


シリーズ関連記事

第1回|造る

第2回|運ぶ


参考文献・資料

  • 一般社団法人ダム工学会「第3回 水道ダム交流講演会」案内、2026年。神戸編は2026年8月27日に開催され、布引ダム・雌滝取水堰堤の現地見学と講演会が行われた。
  • 神戸市『神戸市水道誌』明治43年(1910)
  • 神戸市『神戸市水道拡張誌 上巻』大正11年(1922)
  • 五本松堰堤現地「布引ダム補強工事」銘板
  • 五本松堰堤現地「布引ダム災害復旧工事」銘板
  • 五本松堰堤現地「布引ダム耐震補強工事」銘板
  • 五本松堰堤現地「布引五本松堰堤補強及び堆積土砂撤去工事」銘板
  • 雌滝取水堰堤現地案内板
  • 2026年8月27日「第3回 水道ダム交流講演会 神戸編」現地見学・講演
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