女帝の心・鮮魚店のアルバイト・詐欺師・ホモサピエンス全史
最近、東京都知事の小池百合子さんに関する本、「女帝」が出版された。
なんでもエジプトの名門校カイロ大学卒業は嘘だったと告発する本だが、何十年も嘘を公の場で突き通せるとは思わない。
高校を辞めて、アルバイト生活を送っていた頃を振り返る。
20歳も過ぎて来て、高校中退ではアルバイトすらするのは難しくなってくる。アルバイト情報誌には資格に高卒以上と書いてある事が多い。
アルバイトと言っても、ほぼ毎日のように働くのでパートって言った方がいいのだろう。
20歳で自動車免許を取って、せっかくなので免許を活かした仕事につこうと、鮮魚店の配達の仕事についた。
金沢の中心部柿木畠にある鮮魚店で、1990年台の当時はまだ県庁もあり、映画館があり、まだ金沢の中心部と言う感じだった。当時としては破格の時給900円。朝の9時から15時まで配達や仕込みを手伝う。水仕事が多いので、ネイビーの前掛けをして、ヤッケを着て、自転車で市内を走り回る。
イワシのつみれの注文が入ると、イワシを手開きして、ミンチの機械で加工する。何百匹と手で捌いたので、今でもイワシなんかすいすいと3枚に手開きできる。その変わり、身体中、魚の匂いが染み付いて取れない。
活ドジョウの計り売りをやっていて、ドジョウをザルですくって、計りにかけるんだけど、何回か手を滑らせてこぼしてしまし、お店の大将から怒られたのを覚えている。
時給が高いのは理由があって、きついし、きたないから。自動車の配達というのはほんの1時間ほどで、あとは主に、自転車の配達。氷のいっぱい入った発砲スチロールの重い箱を自転師の荷台にのせて、雪、雨風構わず走らなければならない。
2、3週間でアルバイトはよく辞めた。しかし、こちらは次のアルバイト先を探すにも難しい当時の学歴、年齢で、簡単に辞めるという事はできない。
確かに今考えると、履歴書は提出するが卒業証明書を提出させる会社などなかった。だから、学歴詐称などやろうと思えばできるのだろうが、嘘が嘘を重ねていくようなしんどい事はできないだろう思う。
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