菊水山が産声を上げた日|大楠公六百年祭と昭和10年5月20日の植樹式

昭和10年5月20日の神戸新聞に掲載された菊水紋。山肌に若松で紋が描かれている。

※菊水山の名称、石碑、菊水紋、登山道整備などの全体像は、「菊水山とは何か」にまとめています。

昭和10年5月20日。
大楠公六百年祭の際、菊水山は産声をあげました。

それまでこの山は、各登山会による通称で呼ばれ、確たる名前を持たなかったとされます。

大楠公六百年祭記念碑。背面の刻字
大楠公六〇〇年祭記念 昭和10年5月と刻まれた山頂の石碑

この日、植樹式が行われ、神戸市内の学童と教職員によって幼松が植えられました。
さらに、2万本の菊水旗によって、山肌に菊水の紋が描かれました。

菊水は、楠木正成公の家紋です。

大楠公六百年祭
湊川神社の背後にそびえる菊水山。大楠公六百年祭の記憶を今に伝える山でもある。

菊水旗とは、楠木正成公が戦の時に使用した、「非理法権天」と書かれた旗です。

非理法権天とは、

▪️道理にあらずは、道理に勝てない。
▪️道理は、法律には勝てない。
▪️法律は、権力には勝てない。
▪️権力は、自然の摂理、すなわち天には勝てない。

という意味です。

2026年3月 湊川公楠木正成公を祀る湊川神社。菊水山の命名には、大楠公六百年祭の時代背景が深く関わっている。

楠公さんが祀られる湊川神社の背後にそびえる、かつて通称・神戸アルプス「城ヶ越山」と呼ばれた山。

それが、今の菊水山です。

菊水山植樹式。2万本の菊水旗。
昭和10年5月21日の神戸新聞。 昭和10年5月20日の植樹式と菊水旗2万本の記録。現在の菊水山の名につながる重要な資料。
目次

菊水山は、ただの山名ではない

菊水山という名前は、単なる地名ではありません。
大楠公六百年祭、湊川神社、楠木正成公、神戸の学童たち、そして当時の登山文化が重なって生まれた名前です。

今、私たちが何気なく登っている菊水山には、昭和10年の神戸の記憶が刻まれています。

山頂の石碑を見るとき、ただの山頂標識として見るのではなく、
この山が「菊水山」として産声を上げた日のことを思い出していただければと思います。


関連記事

菊水山の石碑について詳しく知りたい方はこちら。

昭和10年5月の刻字と、実際の建立・除幕時期についてはこちら。

昭和10年5月20日の時点で、石碑がどのような状態だったのかを検証した記事はこちら。

大楠公六百年祭の全体像を知りたい方はこちら。

現在の菊水山を支えてきた登山道整備の記録はこちら。

※菊水山のの全体像は、「菊水山とは何か」にまとめています。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次