楠木正成– tag –
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菊水山
大楠公像の除幕式とは何だったのか|湊川公園・昭和10年5月22日 神戸新聞が報じた実像
いつも静寂に包まれる湊川公園。大楠公像の横では、昼休みのサラリーマンがベンチで弁当を広げ、土曜日には手仕事市が開かれ、子どもたちが遊具で遊ぶ。 しかしこの場所は、かつて――数万の人々が集まり、熱狂に包まれた空間だった。 昭和10年5月22日。ここ... -
菊水山
大楠公六百年祭はどう再編集されたのか|昭和10年と昭和60年の記録を比較検証【一次資料】
■ はじめに 本記事は、大楠公六百年祭を評価・批評するものではない。 菊水山の石碑や地形を現地で観察し、その由来を一次資料で検証していく過程で、この祭典に行き当たった。 つまり本記事は、👉 **「菊水山という現場から遡って見えてきた歴史の... -
菊水山
湊川公園の大楠公像はなぜ昭和10年5月なのか|3つの石碑から読み解く六百年祭
■湊川公園の大楠公像とは何か|昭和10年建立の背景 神戸市兵庫区の湊川公園には、楠木正成を顕彰する大楠公像が建てられている。一見すると単なる歴史的モニュメントに見えるが、その成立過程をたどると、昭和10年という特異な時代背景が浮かび上がる。 こ... -
大楠公六百年祭
大楠公六百年祭とは何か|昭和10年の神戸と国家的行事の実像【写真・一次資料】
■ 大楠公六百年祭とは何か 昭和10年(1935年)、楠木正成の没後600年にあたり、日本全国で「大楠公六百年祭」が実施された。 『日本新聞集覧(昭和10年度版)』には次のように記されている。 日本全土の浦々に楠公祭が行はれ、殆んど前例のない盛事(出典... -
菊水山
菊水山の菊水紋はなぜ維持されなかったのか|児童拠出と構造的限界から検証
菊水山は「自然の山」ではない 菊水山は、もともと「城ヶ越山」と呼ばれていた山である。しかし現在の「菊水山」という名称や、山肌に描かれた菊水紋、そして山頂の記念碑は、自然発生的なものではない。 昭和10年(1935年)の大楠公六百年祭を契機として... -
菊水山
菊水山の菊水紋はこう作られた|神戸三名物に位置づけられた植樹事業
神戸市兵庫区、菊水山。現在、山頂の石碑が知られているが、その背景には大規模な植樹事業があった。 昭和10年、大楠公六百年祭にあわせて行われたこの事業は、神戸市内の小学校が総動員される形で実施されている。 さらに当時の新聞では、この菊水山が市... -
菊水山
菊水山の石碑は昭和10年か11年か|神戸新聞(昭和11年)から確認できる事実
結論:昭和11年には設置済み、設置年は未確定 神戸市兵庫区、菊水山山頂にある石碑。「菊水山」と刻まれたこの石碑について、設置時期は昭和10年か昭和11年か。 本記事では、昭和11年の神戸新聞記事および既存資料から、現時点で確認できる事実を整理する... -
菊水山
菊水山の記念碑除幕式とは何だったのか|昭和11年6月5日 神戸新聞(第2面)
今朝、図書館で昭和11年の新聞をめくった。 自分が毎朝立っている菊水山の山頂。その場所で約90年前に行われた出来事が、当時の言葉でそのまま残っていた。 ■ 神戸新聞(昭和11年6月5日 第2面) 見出し「僕らの手ではらり 覆い外した記念碑 菊水山植樹奉... -
菊水山
菊水山の石碑に刻まれた謎|大楠公六百年祭記念碑は本当に昭和10年建立なのか?
「※本記事の内容は、その後の一次資料調査により再検討されています。最新の検証はこちら」 ↓ 菊水山の石碑に刻まれた「昭和10年5月」は竣工日ではない|神戸新聞から確認できる事実 昭和10年5月20日、菊水山山頂の石碑はまだ現在地になかった|大楠公六〇...
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