神戸市の菊水山。
早朝、まだ薄暗い時間帯から、この山で作業を続けている人がいる。
この人の名前は、検索しても出てこない。
烏原登山会の岡本学さん。現在80歳。
およそ20年にわたり、登山道の整備を一人で続けてきた。

■始まりは「地獄の階段」だった
整備のきっかけは、「地獄の階段」と呼ばれる場所だった。
当時の登山道は、雨による侵食でV字にえぐられ、非常に登りづらい状態だったという。
最初に行ったのは、ロープの設置。
そこから一つずつ、崩れた道を直していった。
「気が遠くなる。キリがない」
それでも、目に見えて道が良くなっていくと、また手を動かす気力が湧いてくる。
作業はすべて独学。
必要なことを、自分で覚えていった。

■丸太を運び、道を作る
現在の登山道に設置されている丸太。
その多くは、岡本さんの手によるものだ。
丸太は北側の管理道から山頂付近まで運ばれ、
そこから人の手で運搬される。
岡本さんは背負子を使い、
山頂から必要な場所まで丸太を下ろしていく。
1本およそ1メートル、重さは約2キロ。
数字だけ見れば軽く感じるが、
傾斜のある山道を何度も往復する作業は、決して楽ではない。
これまでに、丸太を背負ったまま転落したことも2度ある。


作業は朝4時から。
限られた時間の中で、少しずつ積み上げていく。
猪は「お友達」だという。
それくらい、この山に長く関わってきた。
■20年で変わった山
かつては、むき出しで荒れていた登山道。
それが今では、丸太で補強され、多くの人が歩ける道になっている。
鵯道をはじめ、各所に設置された丸太。
その多くに岡本さんの手が入っている。
道が整備されるにつれて、登山者も増えた。
一方で、マナーの問題もある。
縦走大会のランナーの中には、荒い走り方をする人もいるという。


また、資材の運搬環境も変わった。
以前は下から車で搬入できたが、現在はそれができず、
山頂から人力で運ぶ形になっている。
■一人で続けてきた理由
なぜ20年も続けてきたのか。
「やめようと思ったことはない」
誰かに感謝されることも、ほとんどない。
夜明け前に山に入る、ごく一部の人しかその作業を知らない。
この活動は誰のためなのか――
そう考えること自体が、的外れなのかもしれない。

■烏原登山会という存在
烏原登山会は約60人。
ゴミ拾い、草刈り、不法投棄の回収、東屋の清掃、記帳管理など、
山を支える活動を続けている。
それぞれが、自分にできることを持ち寄っている。
若い会員もいるが、実際に山に来る人は限られている。
「もっと入ってほしい」
それが率直な思いだという。
■80歳の現在、そしてこれから
昨年、岡本さんはがんの手術を受けた。
その影響で、一時は山に入れない時期があった。
今年に入り、ようやく戻ってきた。
現在は無理をせず、体の状態を見ながら作業を続けている。
■この期間に行われた大規模整備
岡本さんが山に入れなかった時期、
菊水山では神戸市による大規模な森林整備が実施された。
詳しくは以下の記事に記録している。
菊水山の整備記録|2026年1月〜3月と建国記念日前後の伐採の実態

この整備は、神戸市森林整備事務所によるもの。
個人の整備と行政の整備が、それぞれの役割で山を支えている。
登山道は管理が曖昧で
ボランティアが実質支えているケースが多い

■後継者はいない
「わしがおらんくなったら、誰がやるんやろな」
そう語る岡本さんに、後継者はいない。
菊水山の南側の登山道は岡本さん。
大規模な伐採や危険木の処理は行政。
一つの仕組みではなく、
複数の支えで成り立っているのが現実だ。
■山を歩く人へ
「もっと多くの人に山と関わってほしい」
その言葉を受けて、
私自身も烏原登山会へ入会した。
組織に属することを避けてきた自分にとっては、
不思議な選択でもある。
それでも、この山の現場を見たとき、
その一歩は自然なものだった。

菊水山の登山道は、自然のままに存在しているわけではない。
そこには、人の手による積み重ねがある。
そしてその多くは、記録されることもなく、静かに続けられている。
この記録が、その一端を伝えるものになればと思う。


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