立江寺にあった「たちえ幼稚園」の記憶|ひよどり道につながる北山町の地域史

立江寺に残る、たちえ幼稚園跡の碑。当時の園舎写真は未確認だが、碑と資料がかつての幼稚園の存在を伝えている。

神戸市兵庫区北山町の立江寺には、かつて「たちえ幼稚園」がありました。

目次

立江寺へ向かう道に、かつての幼稚園の記憶が残っていた

ひよどり道を歩いていると、立江寺へ向かう指標が現れる。

山道の途中にある、ひとつの道しるべ。
しかし、その先にある立江寺には、単なる寺院としてだけでは語りきれない地域の記憶が残っている。

かつてこの場所には、たちえ幼稚園があった。

現在の立江寺境内には、「たちえ幼稚園跡」を伝える碑が残る。
園舎や当時の子どもたちの写真を、今のところ私は確認できていない。けれども、国立国会図書館デジタルコレクションで『六大新報』をたどると、立江寺とたちえ幼稚園の歩みは、1960年代から1990年代にかけて断続的に記録されている。

この記事では、現時点で確認できた『六大新報』の記事、現地に残る碑、そして地域の方々の記憶をもとに、ひよどり道の先にあった「たちえ幼稚園」の記憶を整理してみたい。

烏原貯水池亀の甲広場からひよどり展望台への山道を進むと奥の院に辿り着く。
ひよどり道の途中に現れる立江寺への指標。山道の先に、かつてのたちえ幼稚園の記憶が残る。

六大新報に残る、たちえ幼稚園の歩み

たちえ幼稚園について、もっとも重要な資料のひとつが『六大新報』である。

『六大新報』2703号、1962年11月の記事には、神戸市兵庫区北山町九ノ一の立江寺が経営する「たちえ幼稚園」が、昭和28年の創立以来、十周年を迎え、1962年10月28日午前9時から菊水小学校で創立記念運動会を開催したことが記されている。

さらに、1963年6月の『六大新報』2724号には、たちえ幼稚園が創立十周年を迎え、記念冊子、いわば十周年史ができたことが紹介されている。そこには園歌も掲載されていた。

空がきれいだ 山がよんでいる
今日も元気で丘の道
ぼくも わたしもたちえ
たちえ幼稚園

この歌詞は、現在の立江寺周辺を歩くと、不思議なほど風景に重なる。

立江寺は高台にある。
境内へ向かう道には坂があり、空が広く、山が近い。
卒園生の方から寄せられた「きつい坂道を上がって通っていた」という記憶とも、この園歌はよく響き合う。

立江寺のひよどり道側から望む神戸市街地。空気が澄んだ日には、さらに奥に金剛山地の稜線が見える。
立江寺周辺の風景。たちえ幼稚園の園歌には「空がきれいだ」「山がよんでいる」「丘の道」という言葉が残されている。に奥に金剛山地の稜線が見える。

また、同じ記事には井上紀生園長の短歌も紹介されている。

門前に来りし我にすがりつき
はしやぐ子等にまどいており

砂遊び我にもはいれと呼ぶ子等の
砂によごれし手を振りながら

この二首からは、園長と子どもたちの距離の近さが伝わってくる。
門前に来ると子どもたちが駆け寄り、砂遊びに誘う。
そこには、資料上の沿革だけでは見えてこない、幼稚園の日常の空気がある。


保育園として発足し、幼稚園へ、そして学校法人へ

たちえ幼稚園の沿革を整理するうえで、重要なのが1978年12月の『六大新報』3232号である。

同記事では、立江寺学園の創立25周年記念式について報じられており、たちえ幼稚園の歩みが次のように整理されている。

昭和28年、県公認保育園として発足。
昭和37年、幼稚園認可。
昭和41年、学校法人となる。
昭和51年、第二たちえ幼稚園を開設。

この記述によって、たちえ幼稚園の歴史は単純な「設立年」だけではなく、保育園としての発足、幼稚園認可、学校法人化という段階を経て発展していったことが分かる。

なお、1999年9月の『六大新報』3885号では、井上紀生大僧正の叙勲祝賀会の記事中に「昭和三十二年たちえ幼稚園を設立」とする記述も見られる。
このため、発足、認可、制度上の成立のどこを起点とするかによって、資料上の表記に揺れがある可能性がある。

本記事では、1978年の創立25周年記事に基づき、昭和28年に県公認保育園として発足し、昭和37年に幼稚園認可を受けたという流れで整理する。


入園希望者多数、園舎増築、そしてプール落成へ

たちえ幼稚園は、地域の中で着実に拡大していった。

1965年4月の『六大新報』2785号には、入園希望者が多かったため、一学級を増加し、約20坪の園舎を増築したことが記されている。
設備などを合わせて約200万円を要し、新年度の在籍園児は230名になったという。

230名という数字は大きい。
現在の静かな立江寺の佇まいからは想像しにくいが、当時この場所には、多くの子どもたちの声が響いていたはずだ。

1966年10月の『六大新報』2834号には、立江寺が境内地整備のため石垣や道路工事を進める一方、たちえ幼稚園では国の要望により、経営主体を宗教法人から学校法人へ変更する手続き中であること、また遊戯室等の増築に着工予定であることが記されている。

1967年5月の『六大新報』2854号では、総工費1300万円をかけ、新館、講堂、会議室等を備えた建物が完成したことが報じられている。
同年9月の『六大新報』2865号には、学校法人認可とともに幼稚園の増築を計画し、兵庫県教育課の指導により第一期工事を完了したため、落成式典と祝賀会を開くことが記録されている。

さらに1968年8月の『六大新報』2895号には、念願のプールが落成し、プール開きが行われたことが掲載されている。
記事中では、関係者や父兄が、幼児のころから水に親しむ習慣をつけられることを喜んでいた様子も伝えられている。

たちえ幼稚園は、単に寺の一角にあった小さな施設ではなかった。
地域の幼児教育需要に応えながら、園舎を増築し、講堂を備え、プールまで整えた、地域に根ざした教育施設だったのである。

立江寺の外観、境内
現在の立江寺。六大新報には、この地を拠点にたちえ幼稚園が発展していった記録が残されている。

菊水小学校、鵯越小学校、そして地域の広がり

たちえ幼稚園の行事は、立江寺境内だけで完結していたわけではない。

1962年の創立十周年記念運動会は、菊水小学校で開催されている。
翌1963年10月の『六大新報』2736号には、たちえ幼稚園の運動会が鵯越小学校で行われたことも記録されている。

ここに、たちえ幼稚園が当時の北山町、夢野、菊水、鵯越周辺の地域社会と結びついていたことが見えてくる。

幼稚園の子どもたちは、立江寺の坂道を上り、園で遊び、地域の小学校で運動会を行った。
保護者や地域の人々も、行事を通じてこの幼稚園に関わっていた。

1970年11月の『六大新報』2969号には、たちえ幼稚園のバザーの記事もある。
講堂と教室では園児の絵画が展示され、多くの保護者が参観し、盛会だったという。

こうした小さな記事の積み重なりから、たちえ幼稚園が地域の年中行事の中にあったことが分かる。


第二たちえ幼稚園の開設

1976年7月の『六大新報』3153号には、神戸市兵庫区菊水町十丁目に「たちえ第二幼稚園」が開設され、6月20日正午から記念式典が催されたことが報じられている。

北山町の立江寺を拠点としたたちえ幼稚園は、菊水町十丁目へと広がっていった。

1978年12月の創立25周年記事では、第二たちえ幼稚園の開設後、卒園児は2400名に達していたとされる。
また、保育目標として、

強い身体、考える力、感謝の心

が掲げられていた。

この三つの言葉は、寺院を背景にした幼児教育の性格をよく表している。
身体を育て、考える力を育て、感謝の心を育てる。
立江寺とたちえ幼稚園は、地域の子どもたちにとって、ただの通園先ではなく、生活の中にある教育の場だった。


井上紀生大僧正と幼児教育へのまなざし

1999年9月の『六大新報』3885号には、井上紀生大僧正の勲五等双光旭日章受章を祝う叙勲祝賀会の記事が掲載されている。

会場は新神戸オリエンタルホテル。
大覚寺、中山寺、須磨寺の関係者、地元選出の国会議員、県議、市議、幼稚園関係者など327名が参集したとされる。

記事中では、井上紀生大僧正が早くから幼児教育に着目し、「将来を担うのは若い人」と考え、たちえ幼稚園を設立して地域の要望に応えたことが紹介されている。

また、井上大僧正は祝賀会の挨拶で、幼児教育五十年の思い出を語るには時間がないとしながらも、卒園式で子どもたちが無事に卒園していくことが何より嬉しい、と語っている。

この言葉は、1963年の記事に残る短歌とも重なる。
門前に来ると子どもたちが駆け寄り、砂遊びに誘う。
そして年月を経て、卒園していく子どもたちを見送る。

たちえ幼稚園の歴史は、建物や制度の歴史であると同時に、井上紀生園長と子どもたちとの日々の積み重ねでもあった。

なお、同記事には叙勲祝賀会の写真も掲載されているが、本記事では著作権上の理由から紙面画像の転載は行わない。
ここでは記事内容の要約にとどめ、現地写真と資料整理によって記録する。


現地に残る、たちえ幼稚園跡の碑

現在、立江寺に行くと、たちえ幼稚園跡を伝える碑を見ることができる。

当時の園舎写真は、少なくとも現時点では確認できていない。
しかし、碑が残っていることは大きい。

資料に名前が残るだけではなく、現地にも痕跡が残る。
その場所に立つと、六大新報に記録された園歌や短歌、運動会、園舎増築、プール開き、バザー、第二幼稚園開設といった出来事が、単なる文字情報ではなく、土地の記憶として立ち上がってくる。

立江寺に残る、たちえ幼稚園跡の碑。当時の園舎写真は未確認だが、碑と資料がかつての幼稚園の存在を伝えている。
立江寺に残る、たちえ幼稚園跡の碑。当時の園舎写真は未確認だが、碑と資料がかつての幼稚園の存在を伝えている。

この碑は、地域の記憶をつなぎ止める小さな目印である。
卒園生にとっては、幼いころの通園路や園庭の記憶につながる。
地域の人にとっては、かつて坂道を上って通う子どもたちがいた時代を思い出す手がかりになる。


ひよどり道は、山道である前に地域の記憶へ続く道だった

ひよどり道は、現在では登山道や散策路として語られることが多い。

しかし、立江寺やたちえ幼稚園の記録を重ねると、この道は単なる山道ではなくなる。

ひよどり道から立江寺へ。
立江寺から北山町へ。
北山町から夢野、菊水、烏原へ。
その先には、菊水小学校や鵯越小学校で行われた運動会、烏原水源地で遊んだ子どもたちの記憶、夢野商店街や熊野神社、氷室神社と結びついた暮らしがある。

地域の方からは、立江寺にたちえ幼稚園があったころの記憶として、坂道を上って通ったこと、烏原水源地が遊び場だったこと、朝夕に鐘が鳴っていたことなどが語られている。
こうした記憶は、公式資料だけでは残りにくい。
しかし、現地を歩き、碑を見て、資料をたどることで、少しずつ輪郭が見えてくる。

ひよどり道は、山へ向かう道である。
同時に、立江寺とたちえ幼稚園、そして北山町の地域記憶へつながる道でもある。

ひよどり道から立江寺へ、そして北山町・夢野へ。山道の先には、地域の暮らしの記憶が重なっている。
ひよどり道から立江寺へ、そして北山町・夢野へ。山道の先には、地域の暮らしの記憶が重なっている。

年表:六大新報に見る、たちえ幼稚園の歩み

出来事
1953年/昭和28年県公認保育園として発足
1962年/昭和37年幼稚園認可。10月28日に菊水小学校で創立十周年記念運動会を開催
1963年/昭和38年創立十周年記念冊子が完成。園歌や井上紀生園長の短歌が紹介される。10月20日には鵯越小学校で運動会
1965年/昭和40年入園希望者多数のため園舎を増築。在籍園児230名に
1966年/昭和41年経営主体を宗教法人から学校法人へ変更する手続きを開始
1967年/昭和42年新館、講堂、会議室等が完成。第一期工事落成式を挙行
1968年/昭和43年念願のプールが落成
1972年/昭和47年開園20周年記念式典を開催
1976年/昭和51年菊水町十丁目にたちえ第二幼稚園を開設
1978年/昭和53年創立25周年記念式。卒園児2400名、保育目標が記録される
1999年/平成11年井上紀生大僧正の叙勲祝賀会を開催

※1999年の叙勲祝賀会記事では「昭和三十二年たちえ幼稚園を設立」とする記述も見られる。発足、幼稚園認可、制度上の成立のどこを起点とするかで表記に揺れがある可能性がある。


まとめ

立江寺にあったたちえ幼稚園は、今では園舎を見ることはできない。

けれども、現地には碑が残る。
六大新報には、園歌、短歌、運動会、園舎増築、学校法人化、プール落成、第二幼稚園開設、創立記念式、叙勲祝賀会の記事が残る。
そして地域の人々の記憶の中には、坂道を上って通った幼稚園、烏原水源地で遊んだ子ども時代、朝夕の鐘の音が残っている。

当時写真がなくても、記憶は消えていない。

ひよどり道を歩き、立江寺へ向かう。
その道の先には、かつて地域の子どもたちが通った、たちえ幼稚園の記憶がある。


参考文献・出典

本記事は、国立国会図書館デジタルコレクションで確認した『六大新報』(六大新報社)各号をもとに、筆者が本文を翻刻・要約し、年表として整理したものです。紙面画像の転載は行っていません。たちえ幼稚園の所在地、園長、園歌、井上紀生氏の短歌、第二たちえ幼稚園開設、叙勲祝賀会などについては、提供資料にも整理されています。

参照した主な号は以下の通りです。

  • 『六大新報』2703号、六大新報社、1962年11月
  • 『六大新報』2724号、六大新報社、1963年6月
  • 『六大新報』2736号、六大新報社、1963年10月
  • 『六大新報』2785号、六大新報社、1965年4月
  • 『六大新報』2834号、六大新報社、1966年10月
  • 『六大新報』2854号、六大新報社、1967年5月
  • 『六大新報』2865号、六大新報社、1967年9月
  • 『六大新報』2895号、六大新報社、1968年8月
  • 『六大新報』2969号、六大新報社、1970年11月
  • 『六大新報』3037号、六大新報社、1972年11月
  • 『六大新報』3153号、六大新報社、1976年7月
  • 『六大新報』3232号、六大新報社、1978年12月
  • 『六大新報』3885号、六大新報社、1999年9月

なお、本文中の年表・説明文は、上記資料をもとに筆者が整理したものであり、国立国会図書館または六大新報社が作成した年表ではありません。

福寿院夢野大師に関する関連記事は、こちらにまとめています。
奥の院、十三仏、電気工事記念碑、ひよどり道をあわせて読むと、山中寺院の全体像が見えてきます。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次