福寿院夢野大師奥ノ院へつながる「ひよどり道」|烏原登山会・岡本学さんが整備してきた歴史の道

地蔵広場の裏から、福寿院夢野大師奥の院方面へ続くひよどり道に入る。

福寿院夢野大師の奥ノ院、十三仏、電気工事記念碑、ひよどり道の全体像は、こちらのまとめ記事に整理しています。

神戸市兵庫区、福寿院夢野大師の奥には、山へと続く道があります。

地蔵広場の裏から入り、ひよどり展望台方面へ向かう「ひよどり道」。

いまでは明るく歩きやすいこの道も、かつては丸太が朽ち、笹や雑草に埋もれ、登山者もほとんど通らない荒れた道だったといいます。

その道を再び歩ける道へと整えてきたのが、烏原登山会の人たちであり、長年その実務を担ってきた岡本学さんでした。

ひよどり道は、単なる登山道ではありません。
福寿院夢野大師の奥ノ院へつながる道であり、鵯越の毎日登山文化、登山道整備文化、そして地域の信仰の記憶が重なる歴史の道です。

地蔵広場の裏から、福寿院夢野大師奥の院方面へ続くひよどり道に入る。
地蔵広場の裏から、福寿院夢野大師奥ノ院方面へ続くひよどり道に入る。

目次

2026年5月26日、地蔵広場の裏からひよどり道へ

2026年5月26日。

今日も地蔵広場の裏から、ひよどり道へ向かいました。

道に入ると、草刈りがされたばかりなのか、青草のいい香りが漂っていました。
一昨日見かけた倒木も、きれいに除去されていました。

ひよどり道もまた、そうした日々の手入れによって守られている道でした。

その後、岡本さんに話を聞くと、ひよどり展望公園で記帳している栗原さんという方が、草刈りや倒木除去をしてくれたようだとのことでした。

ひよどり道は、岡本さんが中心となって丸太道を整備してきた道ですが、現在も周辺の人たちの手によって少しずつ守られています。

草刈り後の青草の香りが漂うひよどり道。現在も継続的に手入れされている。
草刈り後の青草の香りが漂うひよどり道。現在も継続的に手入れされている。

一昨日確認した倒木は、この日にはきれいに除去されていた。
一昨日確認した倒木は、この日にはきれいに除去されていた。

かつてのひよどり道は、荒れた道だった

ひよどり道は、烏原水源池の南尾根を周回する約2kmの登山道です。

「森守ボランティアだより No.3 2026」に掲載された烏原登山会の記録によると、かつてのひよどり道は、登山道の丸太が朽ち果て、用をなさない状態だったといいます。

登り下りとも足元は滑りやすく、登山者もほとんどいない。
半ば雑草に埋もれたような荒れた道だった。

その道を「再生してやろう」と取り組んだのが、烏原登山会の整備活動でした。

森林整備事務所に依頼して、丸太や支柱を登山会の拠点である地蔵前まで運んでもらう。
そこから背負子で丸太と支柱を担ぎ、ひよどり道へ上げていく。

一日に3段ずつでも作れば、一月で90段の丸太道ができる。

そうして、笹や雑草に埋もれていた道は、少しずつ歩ける道へ戻っていきました。

かつて荒れていたひよどり道には、丸太が入れられ、歩きやすい道へと整えられてきた。
かつて荒れていたひよどり道には、丸太が入れられ、歩きやすい道へと整えられてきた。

「丸太はほとんど私が入れた」岡本学さんが語ったひよどり道

以前、岡本学さんにインタビューしたとき、菊水山以外に整備している山道について尋ねたことがあります。

そのとき、岡本さんは笑いながら、ひよどり道についてこう話してくれました。

「あとは、ひよどり道。あそこも丸太ほとんど私が入れた。丸坊主で誰も人が入らなかった。あそこの道も私がほとんどやってますねん。もう、気い遠なるね。キリがない。でも、やっぱり一つずつやらんとね。やったらね、そのうち綺麗になってくるから。こっちも元気がつくんよ」

丸坊主で、誰も人が入らなかった道。
そこに丸太を入れ、草を刈り、足元を整え、一つずつ直していく。

一気には変わらない。
でも、一つずつやれば、そのうち綺麗になってくる。

岡本さん達の整備は、毎日の積み重ねでした。


動画:岡本学さんインタビュー|菊水山とひよどり道の登山道整備

岡本さんが、ひよどり道の丸太道整備について語ったインタビュー動画。


福寿院夢野大師奥ノ院へつながる歴史の道

ひよどり道が重要なのは、単に山道として整備されているからではありません。

この道は、福寿院夢野大師の奥ノ院へとつながる道でもあります。

福寿院夢野大師は、山中に八十八ヶ所の礼所や石仏が残る、地域の信仰と深く結びついた場所です。
その奥へ続く道が荒れてしまえば、単に登山道が歩きにくくなるだけではありません。

山中に残る信仰の記憶にも、近づきにくくなってしまいます。

道があるから、奥ノ院へ行ける。
道が保たれているから、石仏や礼所の記憶に触れることができる。

ひよどり道は、福寿院夢野大師の歴史を現在につなぐ道でもあるのです。

福寿院夢野大師奥の院へ続く道筋
福寿院夢野大師奥ノ院へ続く道筋

ひよどり展望台の東屋と記帳所

ひよどり道を進むと、ひよどり展望台の東屋に出ます。

ここにも、烏原登山会の記帳所があります。

この日も記帳してきました。
記帳を見ると、利用者はおおよそ一日二名程度。静かな場所です。

岡本さんは、この記帳所にも月に数度足を運び、記帳内容を集計し、入力しているといいます。

登山道を直すだけではなく、利用状況の記録も続けている。
道を整えること。
人が来た記録を残すこと。

それらが一体となって、登山会の活動は続いています。

ひよどり道の先にある、ひよどり展望公園の東屋。ここにも烏原登山会の記帳所がある。
ひよどり道の先にある、ひよどり展望公園の東屋。ここにも烏原登山会の記帳所がある。


ひよどり展望台の東屋に置かれた記帳所。岡本さんはここにも定期的に足を運び、記録を集計している。
ひよどり展望台の東屋に置かれた記帳所。岡本さんはここにも定期的に足を運び、記録を集計している。

鵯越登山会の記憶

ひよどり展望台の東屋には、鵯越登山会の歌、音頭、マーチ、そして歴史を紹介する板が設置されていました。

掲示によると、鵯越登山会は1968年設立。
ひよどり展望公園は1979年10月。
あづま家完成記念は1989年8月。
福寿院は1916年建立。
八十八ヶ所の礼所は1920年から1926年に建立されたと記されていました。

後日、岡本学さんに確認したところ、鵯越登山会は5〜6年前に活動を終え、当時の会員2名が烏原登山会に合流したとのことでした。現在、ひよどり展望公園の記帳所の集計や入力も、岡本さんが担っているといいます。

そのため、東屋に残された鵯越登山会の歌や歴史紹介板は、現在の活動案内というより、かつてこの場所にあった毎日登山文化の記憶を伝えるものといえます。

しかし、東屋に残された歌や歴史紹介板は、かつてこの場所が毎日登山文化の拠点のひとつであったことを物語っています。

福寿院夢野大師の信仰。
八十八ヶ所の礼所。
鵯越登山会の毎日登山文化。
烏原登山会による現在の整備活動。

ひよどり道周辺には、いくつもの時代の記憶が重なっています。


写真:東屋天井の鵯越登山会の歌・歴史紹介板

東屋には、鵯越登山会の歌や歴史を伝える掲示が残されていた。
東屋には、鵯越登山会の歌や歴史を伝える掲示が残されていた。


写真:あづま家修復・ひよどり展望公園・福寿院などの記載部分
キャプション:福寿院、八十八ヶ所、鵯越登山会、ひよどり展望公園の歴史が一枚の掲示に重なっている。

福寿院、八十八ヶ所、鵯越登山会、ひよどり展望公園の歴史が一枚の掲示に重なっている。
福寿院、八十八ヶ所、鵯越登山会、ひよどり展望公園の歴史が一枚の掲示に重なっている。

ひよどり道は、歴史と整備文化が重なる道

福寿院夢野大師奥の院へ続く、ひよどり道。

そこには、信仰の道としての歴史があります。
鵯越登山会の毎日登山文化の記憶があります。
そして、烏原登山会と岡本学さんたちによる登山道整備の積み重ねがあります。

道は、放っておけば荒れます。
草に埋もれ、丸太は朽ち、やがて人が入らなくなる。

しかし、誰かが手を入れ続ければ、道は残ります。
その道を歩くことで、地域の歴史にも触れることができます。

ひよどり道は、福寿院夢野大師の奥へ向かう道であると同時に、神戸の登山道整備文化を今に伝える道でもあります。

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※登山道整備は、地域の方々や登山会、関係機関の協力により支えられています。
本記事・本動画は、現地で見聞きした内容をもとにした個人の記録です。

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