レーノールド氏自動扉門(レイノールド自動扉門)の最新調査結果|烏原貯水池に残る鉄扉と水道局回答

現在の烏原貯水池では、余水吐の自動扉ではなく、取水口から取水した水を石井川へ放流する方法で水位調整を行っているとの回答を得た。

※本記事は、烏原貯水池・烏原水源を近代水道システムとして再構築する調査記事の一部です。全体像は「烏原貯水池とは何か」にまとめています。

目次

はじめに|前回記事の続きとして

前回の記事では、大正11年『神戸市水道拡張誌 上巻』に記されたレーノールド氏自動扉門について、明治43年『神戸市水道誌』、大正11年『神戸市水道拡張誌 附図』、昭和48年『神戸市水道七十年史』、松下眞論文、そして現在の立ヶ畑堰堤の現地写真をもとに検証した。

その後、立ヶ畑堰堤本体の余水吐付近に残る鉄扉について、神戸市水道局に確認を行った。

今回の回答により、この鉄扉が当時の自動扉門として整備されたものと考えられること、現在は放水量調整には使用されていないこと、さらに烏原貯水池そのものが現在休止中であることが分かった。

本記事では、神戸市水道局からの回答をもとに、レーノールド氏自動扉門と現在の烏原貯水池の運用状況について整理する。

神戸市街地のすぐ背後に広がる、菊水山・烏原貯水池・鵯越周辺の山麓地域。
神戸市街地のすぐ背後に広がる、菊水山・烏原貯水池・鵯越周辺の山烏原水源・立ヶ畑堰堤。明治38年に竣工し、大正期には9フィートの嵩上げが行われた神戸近代水道の重要施設である。

立ヶ畑堰堤の余水吐に残る鉄扉

烏原水源・立ヶ畑堰堤の余水吐付近には、現在も鉄扉が残っている。

この鉄扉について、大正11年刊行の『神戸市水道拡張誌 上巻』には、鳥原貯水池にレーノールド氏自動扉門を設置したとの記述がある。

また、昭和48年刊行の『神戸市水道七十年史』には、烏原堰堤について、中央部に4個の溢流口を設け、満水を越えると自動扉が開き、放水量を増やす旨の説明が見られる。

前回記事では、これらの文献と現地写真を照合し、現在の余水吐付近に残る鉄扉が、レーノールド氏自動扉門と関係する設備である可能性について検証した。

現在の立ヶ畑堰堤本体に残る鉄扉の確認写真
立ヶ畑堰堤本体の余水吐付近に残る鉄扉。大正11年『神戸市水道拡張誌 上巻』に記されたレーノールド氏自動扉門と関係する設備と考えられる。
立ヶ畑堰堤本体の鉄扉上部。操作機構または可動部に関係すると思われる部材が確認できるが、現時点では詳細な作動機構までは断定できない。
立ヶ畑堰堤本体の鉄扉上部。操作機長い棒に自撮り棒を固定して撮影した鉄扉上部。太いネジ棒または軸状の部材が確認できる。ただし、現在残る部材だけで当時の完全な作動機構を復元することはできない。

神戸市水道局への確認

現地に残る鉄扉が、文献に記されたレーノールド氏自動扉門と関係するものなのかを確認するため、神戸市水道局に問い合わせを行った。

問い合わせでは、主に次の点を確認した。

・現在の鉄扉は、水位調整または放水量調整のために使用されている設備なのか。
・現在は使用されていない旧設備・遺構として残っているものなのか。
・大正11年『神戸市水道拡張誌 上巻』に記載されるレーノールド氏自動扉門、または昭和48年『神戸市水道七十年史』に記載される自動扉と関係する設備なのか。
・現在の鉄扉が文献に記載される自動扉とは異なる設備である場合、いつ頃、どのような改修工事によって現在の形になったのか。
・以前は余水吐付近から水が放水されていたように見えたが、最近は取水口側から放水されているように見えるため、放水位置や水位調整方法に改修・運用変更があったのか。

これに対して、神戸市水道局から回答を得た。


水道局回答で分かったこと

神戸市水道局からは、余水吐にある鉄扉は、当時の自動扉門として整備されたものと思われるとの回答を得た。

これは重要な確認である。

つまり、現在の立ヶ畑堰堤に残る鉄扉は、単なる詳細不明の古い設備ではなく、大正11年『神戸市水道拡張誌 上巻』に記されたレーノールド氏自動扉門と関係する設備である可能性が高くなった。

一方で、この鉄扉は現在、放水量の調整には使用されていないことも分かった。

また、過去の工事記録等を確認しても、いつの時点で役割を終えたのか、または使用できなくなったのかは不明とのことであった。

現在残っている鉄扉は、当時の自動扉門に関係する設備と考えられるが、現在も自動的に開閉し、放水量を調整している現役設備ではない。

立ヶ畑堰堤本体の余水吐付近。水道局回答により、この付近に残る鉄扉は、当時の自動扉門として整備されたものと思われることが分かった。
立ヶ畑堰堤本体の余水吐付近。水道局回答により、この付近に残る鉄扉は、当時の自動扉門として整備されたものと思われることが分かった。

現在の烏原貯水池は休止中

今回の回答では、もう一つ重要な事実が明らかになった。

烏原貯水池は現在休止中であり、満水位より約4.0メートル低い水位で維持管理されているとのことである。

そのため、現在は余水吐の自動扉によって放水量を調整しているのではなく、取水口から取水した水を石井川へ放流し、水位調整を行っているという回答であった。

これは、現地で感じていた違和感とも一致する。

以前は、立ヶ畑堰堤の余水吐付近から水が放水されている様子を見た記憶がある。しかし近年は、余水吐ではなく、貯水池側の取水口付近から水が抜かれ、石井川側へ放流されているように見えていた。

今回の水道局回答により、現在の水位調整は、余水吐ではなく取水口からの放流によって行われていることが分かった。

現在の烏原貯水池では、余水吐の自動扉ではなく、取水口から取水した水を石井川へ放流する方法で水位調整を行っているとの回答を得た。
現在の烏原貯水池では、余水吐の自動扉ではなく、取水口から取水した水を石井川へ放流する方法で水位調整を行っているとの回答を得た。


現在、余水吐に残る鉄扉は放水量調整には使用されていない。烏原貯水池は満水位より約4.0メートル低い水位で維持管理されている。


表記について|レーノールド氏自動扉門とレイノールド自動扉門

本記事では、大正11年『神戸市水道拡張誌 上巻』で確認できる表記に基づき、レーノールド氏自動扉門と表記する。

一方、松下眞氏の論文では、レイノールド自動扉門という表記が見られる。

そのため、検索上の分かりやすさも考慮し、本記事タイトルではレーノールド氏自動扉門(レイノールド自動扉門)と併記した。

ただし、本文では一次資料に基づき、レーノールド氏自動扉門の表記を基本とする。


考察|自動扉門の痕跡と、これからの調査課題

今回の水道局への確認により、過去の文献、現地の状況、そして現在の運用が少しずつつながってきた。

今回の調査結果は、大きく次の2点に整理できる。

1. レーノールド氏自動扉門の痕跡であること

現在残る鉄扉だけで、当時の完全な作動機構が残っているとは言えない。

しかし、水道局回答により、余水吐に残る鉄扉は、当時の自動扉門として整備されたものと考えられることが分かった。

つまり、この鉄扉は、神戸近代水道がどのように水を貯め、満水時の余水を処理し、放水量を調整しようとしていたのかを伝える重要な技術的痕跡である。

2. 烏原貯水池の現在の位置づけ

かつて神戸の上水を支えた烏原貯水池は、現在は休止中であり、満水位より約4.0メートル低い水位で維持管理されている。

現在の水位調整は、余水吐の自動扉ではなく、取水口から取水した水を石井川へ放流する方法で行われている。

ここで新たな疑問として浮かび上がるのが、烏原貯水池はいつ、なぜ休止されることになったのかという点である。

また、現在の現地案内板に見られる水源地・水質保全に関する表記と、現在の休止中という運用実態をどのように整理するのかも、今後の重要な調査課題である。

烏原貯水池周辺の現地案内板。現在休止中であるという運用実態と、現地表示との関係については、今後さらに整理が必要である。
烏原貯水池周辺の現地案内板。現在休止中であるという運用実態と、現地表示との関係については、今後さらに整理が必要である。

現地に掲げられている注意表示。烏原貯水池が現在どのような位置づけで維持管理されているのか、市民に分かりやすく説明することも今後の課題である。

現地に掲げられている注意表示。烏原貯水池が現在どのような位置づけで維持管理されているのか、市民に分かりやすく説明することも今後の課題である。

これらは、レーノールド氏自動扉門の仕組みそのものの解明と並び、神戸近代水道の歴史と現在の維持管理を考えるうえで、次なる大きな調査課題である。


まとめ

大正11年の資料に記されたレーノールド氏自動扉門は、神戸近代水道の時代に導入された自動扉門であり、満水時に余水を処理し、放水量を増やすための設備であったと考えられる。

現在、立ヶ畑堰堤本体の余水吐付近には鉄扉が残っている。

神戸市水道局からは、この鉄扉が当時の自動扉門として整備されたものと思われるとの回答を得た。

ただし、この鉄扉は現在、放水量調整には使用されていない。

また、烏原貯水池そのものも現在休止中であり、満水位より約4.0メートル低い水位で維持管理されている。

現在は、取水口から取水した水を石井川へ放流する方法で水位調整が行われている。

つまり、レーノールド氏自動扉門は、現在も動く現役設備ではない。

しかし、神戸近代水道が水をどのように管理しようとしていたのかを伝える、貴重な技術的痕跡である。

そして同時に、現在の烏原貯水池がどのような位置づけで維持管理されているのかを考える、重要な手がかりでもある。

烏原貯水池がいつ、なぜ休止されることになったのか。
また、現在の現地案内板の表記と実際の運用状況をどう整理するのか。

これらについては、今後の調査課題として引き続き確認していきたい。


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参考文献・参考資料

  • 神戸市 編『神戸市水道誌』神戸市、1910年
  • 神戸市 編『神戸市水道拡張誌 上巻』神戸市、1922年
  • 神戸市 編『神戸市水道拡張誌 下巻』神戸市、1922年
  • 神戸市 編『神戸市水道拡張誌 附図』神戸市、1922年
  • 神戸市水道局『神戸市水道七十年史』神戸市水道局、1973年
  • 神戸市水道局総務部庶務課『神戸「水」物語 改訂版』神戸市水道局総務部庶務課、1994年
  • 松下眞「佐野藤次郎と初期の神戸水道におけるイギリスの影響」『土木史研究 論文集』Vol.24、2005年

烏原貯水池・烏原水源の全体像は、こちらにまとめています。

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