菊水山の電波塔・無線中継所はいつ建ったのか|1972年地形図と1974年証言で検証

菊水山 電波塔

※菊水山の名称、石碑、菊水紋、登山道整備などの全体像は、「菊水山とは何か」にまとめています。

目次

はじめに

神戸市兵庫区と北区の境にある菊水山。現在、山頂付近には通信施設があり、管理道も山頂近くまで通じています。

では、この菊水山頂の電波塔は、いつ頃から存在していたのでしょうか。

これまで、菊水山の無線中継所については、現地に施設がある一方で、設置時期や成立過程が分かりにくい状態でした。そこで、中央図書館で確認した登山資料、過去地形図、航空写真に関する情報、そして鈴蘭台高校OBの方々から寄せられた証言をもとに、現時点で分かる範囲を整理します。


現在の菊水山頂付近。山頂周辺には通信施設が設けられている。
現在の菊水山頂付近。山頂周辺には通信施設が設けられている。

結論|1972年10月以降、遅くとも1974年までに整備された可能性が高い

現時点での結論は、次の通りです。

菊水山頂の現在の通信施設につながる前身施設とみられる電波塔は、1972年10月以降、遅くとも1974年までに整備された可能性が高いと考えられます。

根拠となるのは、次の4点です。

1963年発行の『六甲山ハイキング』初版には、菊水山頂の無線中継所の記載がない。

1972年10月発行の地形図には、菊水山頂付近に無線塔記号がない。

1974年には、航空写真で無線塔と舗装道が確認できるとの情報がある。

1974年から鈴蘭台高校に通っていた方から、当時すでに菊水山頂に電波塔があり、周辺のごみ拾いをしていたとの証言がある。

さらに、1975年発行の『六甲山ハイキング』第3版では、本文に「大きな無線中継所」と記され、地図にも「無線中継所」が示されています。

これらを合わせると、菊水山頂の電波塔は、1972年10月以降から1974年までの間に整備された可能性が高いと考えられます。


1963年|『六甲山ハイキング』初版には無線中継所の記載なし

まず確認したのは、大西雄一著、創元社発行の『六甲山ハイキング』です。

1963年発行の初版では、菊水山頂について、記念碑や二等三角点、鈴蘭台方面へ越す道、神戸電鉄菊水山駅から西尾根を登ってくる道などが説明されています。

しかし、この初版の本文および地図には、無線中継所の記載は確認できませんでした。

つまり、少なくとも1963年時点の同書では、菊水山頂は「記念碑・三角点・展望・登山道」の山として説明されており、通信施設の山としては扱われていません。

菊水山山頂 日の出前。赤く染める空と石碑
菊水山山頂の石碑。1963年の『六甲山ハイキング』初版では、山頂の記念碑や二等三角点が説明されているが、無線中継所の記載は確認できない。

1972年|地形図には無線塔記号なし

次に重要なのが、1972年10月発行の地形図です。

Facebookグループ「いいとこ再発見!教えて神戸の商店街」で情報提供を呼びかけたところ、鈴蘭台高校OBの方から、国土地理院の過去地形図に関する調査情報をいただきました。

その情報によると、1972年10月発行の「神戸」の地形図には、菊水山頂付近に無線塔の地図記号は入っていなかったとのことです。測量年は1971年です。

地形図の発行は1972年10月であり、仮に測量後に無線塔が建っていれば、発行段階で記号を加えることも考えられます。そのため、少なくとも1972年10月時点では、菊水山頂の無線塔は地形図上に反映されていなかったと考えるのが自然です。

この情報により、設置時期は「1963年以降」という大きな幅から、1972年10月以降へとかなり絞られました。

今回の記事では、その後に集まった証言と資料をもとに設置時期をさらに絞り込んだ。


1974年|航空写真情報と鈴蘭台高校OBの証言

1974年については、2つの重要な情報があります。

ひとつは、国土地理院の航空写真に関する情報です。鈴蘭台高校OBの方から、1974年の航空写真では菊水山頂に無線塔と舗装道が確認できるとの情報をいただきました。

もうひとつは、当時の現地体験に基づく証言です。

1974年から鈴蘭台高校に通っていた方から、当時すでに菊水山頂には電波塔があり、電波塔周辺のごみ拾いをしていたとの証言をいただきました。さらに、当時は電波塔が1基だけだった記憶があるとのことでした。

鈴蘭台高校は菊水山のすぐそばにあり、当時の生徒にとって菊水山は身近な山でした。そのため、この証言は、山頂の実際の様子を知るうえで非常に貴重です。

1972年10月発行の地形図では無線塔記号が確認できない。
一方、1974年には航空写真情報と当時の証言から電波塔の存在が確認できる。

この2点を合わせると、菊水山頂の電波塔は、1972年10月以降から1974年までの間に整備された可能性が高いと考えられます。

NTTドコモへ設置年月日を照会したが、設備情報は社内情報として開示されなかった。
現在の菊水山頂付近の通信施設。1974年には、現在の施設につながる前身施設とみられる電波塔が存在していた可能性が高い。

1975年|『六甲山ハイキング』第3版には「大きな無線中継所」と記載

1975年発行の『六甲山ハイキング』第3版では、菊水山頂の説明に明確な変化が見られます。

同書の菊水山の本文には、山頂に「大きな無線中継所」があると記されています。また、菊水山周辺の地図にも「無線中継所」が記載されていました。

さらに、本文には、頂上から北へ「中継所の自動車道」が通じていることも記されています。

これは非常に重要です。

本文だけでなく、地図にも無線中継所が示されているため、1975年時点の同書では、菊水山頂の主要施設として無線中継所が明確に認識されていたことになります。

また、「中継所の自動車道」という記述は、単なる塔の存在だけでなく、施設の維持管理のための車道が整備されていたことを示しています。

このことは、1974年当時にすでに電波塔があったという鈴蘭台高校OBの証言ともよく一致します。


菊水山頂付近の管理道。1975年の『六甲山ハイキング』第3版には「中継所の自動車道」という記述がある。
菊水山管理道入り口。1975年の『六甲山ハイキング』第3版には「中継所の自動車道」という記述がある。

1975年版の山頂写真について

1975年発行の『六甲山ハイキング』第3版には、菊水山頂石碑の写真も掲載されています。

この写真では、現在の展望台や、その上にある中継施設は確認できませんでした。

ただし、この写真だけで、1975年時点に展望台や別の施設が存在しなかったと断定することはできません。写真の撮影時期や構図の問題があるためです。

そのため、今回の記事では、1975年版の山頂写真は補助情報として扱い、設置時期の根拠としては、本文の「大きな無線中継所」、地図の「無線中継所」、そして「中継所の自動車道」という記述を中心に整理します。


補足|現在の管理主体について

現在の管理主体についても照会を行いました。

NTT西日本に「菊水無線中継設備」について問い合わせたところ、同社からは、確認したがNTT西日本の管轄ではなく、詳細は分からないとの回答がありました。

一方、NTTドコモからは、問い合わせ内容に関してはドコモの社内情報となるため、どのお客様にも伝えていないとの回答がありました。

このため、現時点で正式な管理主体の詳細は公開情報として確認できていません。ただし、NTT西日本の管轄ではないこと、またNTTドコモから社内情報として非開示の回答があったことから、現在の施設はNTT西日本ではなく、NTTドコモ側の管理施設であると考えられます。

実際に、現在の管理道入口には「株式会社NTTドコモ・菊水無線中継所」と明記されています。

なお、過去に撮影された現地看板では「日本電信電話株式会社・NTT 菊水無線中継所」という表示が確認されており、管理道入口にも「NTT菊水無線中継所への専用道路」と記されていました。

現地で確認した「NTTドコモ菊水無線中継所」の表示。これにより、管理道直結の設備名称は確認できた。
菊水山頂へ向かう管理道入口の看板現地で確認した「NTTドコモ菊水無線中継所」の表示。これにより、管理道直結の設備名称は確認できた。

時系列整理

ここまでの情報を時系列で整理すると、次のようになります。

1963年

創元社『六甲山ハイキング』初版では、菊水山頂に無線中継所の記載なし。

1972年10月

発行された「神戸」の地形図には、菊水山頂付近に無線塔記号なし。測量年は1971年。

1974年

航空写真情報では、菊水山頂に無線塔と舗装道が確認できる。
また、1974年から鈴蘭台高校に通っていた方の証言では、当時すでに菊水山頂に電波塔が存在していた。

1975年

創元社『六甲山ハイキング』第3版では、本文に「大きな無線中継所」、地図に「無線中継所」、本文に「中継所の自動車道」が記載される。

現在

菊水山頂付近には通信施設が存在する。NTT西日本からは管轄外との回答があり、NTTドコモからは社内情報として非開示の回答があった。


まとめ|菊水山頂は1970年代前半に通信インフラの山へ変わった

今回の検証から、菊水山頂の電波塔について、かなり具体的な時期が見えてきました。

1963年の登山資料には、無線中継所は登場しません。
1972年10月発行の地形図にも、無線塔記号は確認されていません。
しかし、1974年には航空写真情報と当時の鈴蘭台高校OBの証言から、電波塔の存在が確認できます。
そして1975年の『六甲山ハイキング』第3版では、本文と地図の両方に無線中継所が登場します。

このことから、菊水山頂の現在の通信施設につながる前身施設とみられる電波塔は、1972年10月以降、遅くとも1974年までには整備された可能性が高いと考えられます。

菊水山は、昭和10年代には大楠公六百年祭に関連する記念の山として整備され、戦後はハイキングや毎日登山の山として親しまれました。そして1970年代前半には、通信インフラを備えた山頂へと変化していったと考えられます。

山頂に立つ一本の電波塔の成立時期を追うことで、菊水山の景観がどのように変わってきたのか、その一端が見えてきました。

参考文献・確認資料

・大西雄一『六甲山ハイキング』創元社、1963年。
・大西雄一『六甲山ハイキング』第3版、創元社、1975年。
・NTT西日本 お問い合わせ回答メール「菊水無線中継設備」に関する回答。
・NTTドコモ お問い合わせ回答メール「菊水無線中継所」に関する回答。
・現地確認:菊水山頂周辺、NTTドコモ 菊水無線中継所 管理道入口看板。

情報提供:
・鈴蘭台高校OBの方による、国土地理院過去地形図および航空写真に関する調査情報。
・鈴蘭台高校OBの方による、1974年当時の菊水山頂電波塔に関する証言。

謝辞

本記事は、中央図書館で確認した資料に加え、Facebookグループ「いいとこ再発見!教えて神戸の商店街」で寄せられた情報をもとに整理しました。

国土地理院の過去地形図・航空写真に関する調査情報、1974年当時の鈴蘭台高校OBの方の証言など、貴重な情報提供に感謝いたします。

※菊水山のの全体像は、「菊水山とは何か」にまとめています。

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