福寿院夢野大師の十三仏|奥の院の下から移された十三体の石仏

石仏によって色合いや風合いが異なる。古くからある石仏と、新しく納められた石仏が混在しているという。

福寿院夢野大師の境内上部には、十三体の石仏が並んでいる。

前列5体、中段5体、上段3体。
合計十三体の石仏である。

十三仏全体

石垣寄進銘の後ろに並ぶ十三体の仏像。前列・中段・上段に分かれて祀られている。
福寿院夢野大師の境内上部に並ぶ十三仏。前列5体、中段5体、上段3体で祀られている。

後日、ご住職にお話を伺うと、この石仏群は真言宗の「十三仏」であるとのことだった。
十三仏は、追善供養や年忌法要に関わる十三尊の仏さまで、掛け軸などにも描かれる信仰対象である。

福寿院夢野大師では、それが石仏として祀られている。

目次

奥の院の下から移された十三仏

ご住職によると、この十三仏は、以前は奥の院の下あたりで祀られていたものを、現在の場所へ移したものだという。

福寿院夢野大師の奥の院は、本堂の奥ではなく、ひよどり道の途中にある。
つまり、この十三仏は奥の院と関わりの深い石仏群である。

奥の院の石堂

「奉納」と刻まれた石の段の上に鎮座する中央の石仏。石仏には「右」と刻まれている。
ひよどり道の途中に残る福寿院夢野大師の奥の院。十三仏は、以前この奥の院の下あたりで祀られていたという。

色合いや風合いが違う理由

十三仏をよく見ると、石仏ごとに色合いや風合いが違う。

ご住職によると、古くから祀られていた石仏と、後に新しく納められた石仏が混在しているためだという。
手や顔が傷んだものを整えながら、現在の形で祀られるようになったのだろう。

【写真:古い石仏と新しい石仏の比較】

石仏によって色合いや風合いが異なる。古くからある石仏と、新しく納められた石仏が混在しているという。
石仏によって色合いや風合いが異なる。古くからある石仏と、新しく納められた石仏が混在しているという。

十三仏の番号

キャプション:前列A1〜A5、中段B1〜B5、上段C1〜C3として整理した十三仏。仏名は像容を確認しながら照合していく。
福寿院夢野大師の十三仏。前列・中段・上段に分け、右から左へA1〜A5、B1〜B5、C1〜C3として整理した。

この記事では、十三仏を次のように整理する。

A列:前列
A1 前列右端:不動明王
A2 前列右から2体目:釈迦如来(しゃかにょらい)
A3 前列中央:虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)
A4 前列左から2体目:阿閦如来(あしゅくにょらい)
A5 前列左端:地蔵菩薩

B列:中段
B1 中段右端:阿弥陀如来(あみだにょらい)
B2 中段右から2体目:勢至菩薩(せいしぼさつ)
B3 中段中央:観音菩薩(かんのんぼさつ)
B4 中段左から2体目:薬師如来(やくしにょらい)
B5 中段左端:普賢菩薩(ふげんぼさつ)

C列:上段
C1 上段右端:弥勒菩薩(みろくぼさつ)
C2 上段中央:大日如来(だいにちにょらい)
C3 上段左端:文殊菩薩

B5は、長い茎状の持物が見えることから、普賢菩薩と考えられる。
C1は、胸前から膝上にかけて塔状・器物状のものを持つように見え、弥勒菩薩の特徴と重なる。

ただし、石仏は風化している部分もあるため、細部については像容・持物・印相を確認しながら整理した。

大正十四年の石垣寄進

十三仏のすぐ下には、石垣寄進の銘が残っている。

石垣寄進
菊水町四丁目
松尾福太郎
大正十四年十一月

大正14年、1925年の寄進である。

福寿院夢野大師は、大正年代から昭和にかけて大変賑わったとされる。
この石垣寄進銘は、その時代の信仰と寄進の痕跡を今に伝えている。

石垣寄進銘

大正十四年十一月と刻まれた石垣寄進の銘。福寿院夢野大師が大正期に信仰を集めていたことを示す痕跡である。
十三仏の下に残る石垣寄進銘。「菊水町四丁目 松尾福太郎 大正十四年十一月」と刻まれている。

まとめ

福寿院夢野大師の十三仏は、境内上部に並ぶ十三体の石仏である。

ご住職によると、これは真言宗の十三仏で、以前は奥の院の下で祀られていたものを現在地へ移したという。
また、色合いや風合いが異なるのは、古くからある石仏と、新しく納められた石仏が混在しているためである。

十三仏の下には、大正十四年の石垣寄進銘も残る。
奥の院、ひよどり道、大正期の寄進とつながる、福寿院夢野大師の信仰を伝える石仏群である。


参考文献

  • 福寿院夢野大師 ご住職への聞き取り
  • 現地確認:2026年
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