湊山温泉の歴史|1889年創業以前の記録を一次資料で追う―1179年『山槐記』から明治まで

現在の湊山温泉・入口または暖簾

神戸市兵庫区、平野の山裾にある湊山温泉。

現在、湊山温泉は「1889年創業」とされています。一方、その歴史をたどると、平清盛が福原にいた平安時代にまでつながる話が伝えられています。

では、実際の史料には何が書かれているのでしょうか。

今回、国立国会図書館デジタルコレクションなどに残る文献をたどってみると、1889年より前の史料にも、すでに「湊山温泉」という名称が記録されていることが確認できました。

目次

調査のきっかけは湊山温泉店長への取材

今回の調査のきっかけは、湊山温泉店長・阿部大氏への取材だった。

阿部氏から「1889年創業」の根拠として『神戸又新日報』の話を聞き、さらに平清盛と温泉との関係について『山槐記』の存在を教えていただいた。

写真:湊山温泉店長・阿部大氏。
写真:湊山温泉店長・阿部大氏。ドイツのViessmann製の薪ボイラーに薪を投入する作業の様子。許可を得て撮影。(撮影:筆者)

そこで、実際に当時の史料をたどってみることにした。

調べていくと、1889年より前の1881年、1885年の史料にも「湊山温泉」の名が確認できた。

湊山温泉入口の平清盛の写真
写真:湊山温泉の入口に掲げられている平清盛の写真。現在も平清盛ゆかりの温泉として、その歴史が伝えられている。(撮影:筆者)

1179年―『山槐記』に記された「湯屋」

最初に確認しておきたいのが、平安時代の公卿・中山忠親が残した日記『山槐記』です。

治承3年(1179)の記録には、次の一文があります。

以御車令渡湯屋給、去禅門亭一町許

「御車で湯屋へ渡られた。その湯屋は禅門の亭から一町ほど離れていた」という内容です。

ここでいう「禅門」は平清盛を指します。

『山槐記[7]』
史料:中山忠親『山槐記[7]』。治承3年(1179)の記録に「湯屋」と「禅門亭一町許」の記述が確認できる。出典:国立国会図書館デジタルコレクション。

一町はおよそ109メートル。

史料上、平清盛を指す「禅門」の亭から一町ほど離れた場所に「湯屋」が存在したことが確認できます。

ただし、ここは慎重に見なければなりません。

『山槐記』には「湊山温泉」という名称は記されていません。したがって、この「湯屋」が現在の湊山温泉そのものであったと断定することはできません。

1881年―すでに「湊山温泉」という名称が存在する

次に時代を明治へ進めます。

明治14年(1881)刊行の河井庫太郎編『日本地学辞書』を見ると、そこには明確に、

湊山温泉

という項目があります。

さらに、

摂津國八部郡湊山ノ麓ニ在リ

と所在地が記されています。

史料:河井庫太郎編、河井鏻蔵訂正『日本地学辞書』、1881年。「湊山温泉 摂津國八部郡湊山ノ麓ニ在リ」と記されている。出典:国立国会図書館デジタルコレクション。
史料:河井庫太郎編、河井鏻蔵訂正『日本地学辞書』、1881年。「湊山温泉 摂津國八部郡湊山ノ麓ニ在リ」と記されている。出典:国立国会図書館デジタルコレクション。

これは今回確認した史料の中で非常に重要です。

現在の湊山温泉が掲げる「1889年創業」より8年前の時点で、すでに文献上に「湊山温泉」という名称が存在していたことになります。

したがって、少なくとも「湊山温泉」という名称そのものが1889年に初めて生まれたわけではないことが分かります。


1885年―「天王谷ノ口」にあった湊山温泉

さらに4年後。

明治18年(1885)8月刊行の長野一枝『兵庫県管内地誌略字引』にも、独立した項目として、

湊山温泉

が掲載されています。

本文には、

湊山ノ麓下、天王谷ノ口ニアリ

と読める記述があります。

史料:長野一枝『兵庫県管内地誌略字引』、金港堂、1885年8月。「湊山温泉」の項目が設けられ、湊山・天王谷との位置関係が記されている。出典:国立国会図書館デジタルコレクション。
史料:長野一枝『兵庫県管内地誌略字引』、金港堂、1885年8月。「湊山温泉」の項目が設けられ、湊山・天王谷との位置関係が記されている。出典:国立国会図書館デジタルコレクション。

1881年の『日本地学辞書』では「湊山ノ麓」とされていましたが、1885年には「天王谷ノ口」まで所在地が具体的になっています。

現在の平野・天王谷周辺との地理的なつながりを考える上でも重要な記録です。


1889年―「近年又旧に復して浴場を設けたり」

そして、現在の湊山温泉が創業年としている1889年(明治22)です。

同年6月、山陽鉄道会社が刊行した『山陽鉄道旅客案内 巻之1』には、「湊山温泉」がかなり詳しく紹介されています。

所在地について、

有馬街道の左傍に在り
俗に天王の温泉と称し

と記され、さらに温泉の歴史について、

古より山麓に微温泉湧出し中世に至り一時鑛脈絶へたるも近年又旧に復して浴場を設けたり

とあります。

史料:山陽鉄道会社『山陽鉄道旅客案内 巻之1』、1889年6月。「古より」温泉が湧出し、一時途絶えた後、「近年又旧に復して浴場を設けたり」と記されている。出典:国立国会図書館デジタルコレクション。
史料:山陽鉄道会社『山陽鉄道旅客案内 巻之1』、1889年6月。「古より」温泉が湧出し、一時途絶えた後、「近年又旧に復して浴場を設けたり」と記されている。出典:国立国会図書館デジタルコレクション。

この記録は非常に興味深いものです。

1889年6月の時点で、湊山温泉は新しく発見された温泉としてではなく、

古くから湧いていた温泉が一時途絶え、近年になって再び復し、浴場が設けられた

という歴史を持つ場所として紹介されています。

また本文には、

旅亭の如きは当時尚不完全

という記述も見えます。

つまり、この時期には浴場が存在する一方、その周辺施設はまだ整備途上だったこともうかがえます。


1889年7月―『神戸又新日報』で「上等室開湯」を確認

湊山温泉店長・阿部大氏から、現在掲げられている「1889年創業」の根拠として教えていただいた『神戸又新日報』。

2026年9月23日、神戸市立中央図書館で1889年(明治22)の紙面を確認した。

7月4日付の『神戸又新日報』には、湊山温泉の広告が掲載されていた。

写真:1889年7月4日付『神戸又新日報』第一面
史料:1889年(明治22)7月4日付『神戸又新日報』第一面。

そして同日の紙面には、大きく、

上等室開湯

と題した湊山温泉の広告が掲載されている。

本文には、

浴室改良工事中ノ處、略々普請落成ニ付、来ル五日ヨリ開湯可仕候。此段浴客諸君ニ謹告ス

とある。

所在地は、

兵庫天王谷 湊山温泉

と記されている。

1889年7月4日『神戸又新日報』湊山温泉広告
史料:1889年7月4日付『神戸又新日報』に掲載された湊山温泉の広告。「上等室開湯」「浴室改良工事」「来ル五日ヨリ開湯可仕候」と記されている。

ここで重要なのは、この広告が湊山温泉そのものの新規開業を告げる内容ではないことである。

「浴室改良工事中」「普請落成」とあり、すでに存在していた浴場を改良し、7月5日から「上等室」を開湯することを知らせる広告と読むことができる。

さらに紙面を確認すると、この広告は7月4日、5日、6日の3日間にわたって掲載されていた。7月3日と7月7日の紙面には確認できなかった。

7月6日にも「来ル五日ヨリ」という同じ文面が掲載されていることから、7月5日の上等室開湯を告知する広告を、同一原稿のまま3日間掲載したものと考えられる。

1889年7月6日『神戸又新日報』湊山温泉広告
史料:1889年7月6日付『神戸又新日報』。7月4日と同じ「上等室開湯」の広告が掲載されている。広告は7月4日から6日までの3日間確認できた。

開湯前日の7月4日、すでに湊山温泉は賑わっていた

さらに興味深い記事が、翌7月5日付の『神戸又新日報』に掲載されている。

「祇園祭り」と題した記事には、

昨日は陰暦六月七日にて祇園會の初日なりしに付き奥平野村の天王社は例年の如く参詣多く湊山温泉もなか/\雑沓したり

とある。

【写真:】

1889年7月5日『神戸又新日報』「祇園祭り」の記事
史料:1889年7月5日付『神戸又新日報』。「昨日」の祇園会で奥平野村の天王社に参詣者が多く、「湊山温泉もなか/\雑沓したり」と報じている。

7月5日の記事がいう「昨日」は、7月4日である。

つまり、広告で「上等室」を開湯するとされた7月5日の前日には、すでに湊山温泉は多くの客で賑わっていたことになる。

このことからも、1889年7月5日は湊山温泉そのものの新規創業日ではなく、浴室改良工事後の「上等室開湯」の日だったと考えるのが自然である。


「1889年創業」はどのように決まったのか

『神戸又新日報』を確認した同日、あらためて湊山温泉店長・阿部大氏に「1889年創業」の経緯を伺った。

阿部氏によると、約11年前の2015年ごろ、『神戸又新日報』に掲載された1889年の湊山温泉の記事・広告を見つけたという。

1889年から数えると、ちょうどその年が126周年にあたった。

「126」を「いい風呂」と読める語呂の良さもあり、当時、事業を引き継いでいた伊豆高原ビール側とも相談し、1889年を湊山温泉の創業年として掲げることになったという。

つまり、「1889年創業」という年は、「湊山温泉」という名称が初めて文献に登場した年を示しているわけではない。

今回確認した『神戸又新日報』の広告も、湊山温泉の新規創業を告げるものではなく、浴室改良工事後の「上等室開湯」を知らせる広告だった。

一方、現在の湊山温泉では、7月3日を創業記念日としてポイント10倍デーが行われ、多くの利用客で賑わう。

しかし、今回確認した1889年の『神戸又新日報』では、湊山温泉の広告は7月4日から掲載され、本文では7月5日から「上等室」を開湯すると告知されていた。7月3日の紙面には、この広告は確認できなかった。

したがって、少なくとも今回確認した『神戸又新日報』の広告掲載日と、現在の「7月3日」という創業記念日は一致していない。


1892年2月―湊山温泉での入浴と「林立守氏本邸」

明治25年(1892)2月発行の『花の園生』第13号にも、湊山温泉が登場します。

記事には、

午前九時湊山温泉御入浴遊ばせられ林立守氏本邸御休憩

とあります。

『摂西逍遥記』第三十六項
『摂西逍遥記』第三十六項
花の園生 (13)
『摂西逍遥記』第三十五項

ここでは、湊山温泉で入浴した後、林立守氏の本邸で休憩したことが具体的に記録されています。

この「林立守」という人物名は、その後の史料を見る上で非常に気になる存在です。


1892年11月―「林某氏」が新たに浴場を設けた

同じ1892年11月に刊行された『摂西逍遥記―一名・兵庫近郷名所案内』には、「湊山温泉」という項目があります。

そこには、

中古一時鑛脈絶へたるも近頃に至り再び湧出せしより林某氏の新たに浴場を設けし

と記されています。

さらにその後、

料亭等も追々軒を連らね浴客も亦日々……

と続きます。

史料:『花の園生』第13号、文明社、1892年2月。
史料:『摂西逍遥記―一名・兵庫近郷名所案内』、1892年11月。再び湧出した温泉に「林某氏」が新たに浴場を設けたことが記されている。出典:国立国会図書館デジタルコレクション。

1889年の『山陽鉄道旅客案内』には、

「近年又旧に復して浴場を設けたり」

とありました。

そして1892年の『摂西逍遥記』では、それがさらに具体化され、

「林某氏」が新たに浴場を設けた

と記されています。

また、その9か月前に刊行された『花の園生』には、湊山温泉での入浴とともに**「林立守氏本邸」**が登場します。

この二つの史料だけから「林某氏=林立守」と断定することはできません。

しかし、両者の関係を今後調べる価値は十分にあります。


一次資料を並べると見えてくる湊山温泉の歴史

ここまでの記録を年代順に並べると、次のようになります。

年史料・聞き取り確認できる内容
1179年中山忠親『山槐記』「禅門」の亭から一町ほどの場所に「湯屋」。ただし「湊山温泉」という名称はない
1881年『日本地学辞書』「湊山温泉」の名称を確認。今回確認できた最古の文献
1885年『兵庫県管内地誌略字引』「湊山温泉」を独立項目として掲載。「天王谷ノ口」と記載
1889年6月『山陽鉄道旅客案内 巻之1』「近年又旧に復して浴場を設けたり」と記載
1889年7月4~6日『神戸又新日報』「上等室開湯」の広告を3日間掲載。浴室改良工事がほぼ完成し、7月5日から開湯すると告知
1889年7月5日『神戸又新日報』前日の7月4日について「湊山温泉もなか/\雑沓したり」と報道
1892年2月『花の園生』第13号「湊山温泉御入浴」「林立守氏本邸御休憩」
1892年11月『摂西逍遥記』「林某氏」が新たに浴場を設けたと記載
2015年ごろ阿部大店長への聞き取り1889年の記事を発見。126周年=「いい風呂」の語呂もあり、1889年を創業年として採用
現在湊山温泉7月3日を創業記念日としてポイント10倍デーを実施

「湊山温泉」という名称は1881年まで遡る

今回の調査で確認したかったのは、現在の建物がいつ建てられたのかではなく、「湊山温泉」という名称が文献上いつまで遡れるのかという点である。

1179年の『山槐記』には「湯屋」の記録があるが、「湊山温泉」という名称は記されていない。

一方、1881年刊行の『日本地学辞書』には、

湊山温泉 摂津國八部郡湊山ノ麓ニ在リ

と明記されている。

さらに1885年の『兵庫県管内地誌略字引』、1889年の『山陽鉄道旅客案内』、1892年の『花の園生』『摂西逍遥記』にも「湊山温泉」という名称が確認できる。

したがって、今回確認できた範囲では、1881年の『日本地学辞書』が「湊山温泉」という名称を確認できる最も古い文献である。

そして今回、創業年の根拠とされてきた1889年の『神戸又新日報』を実際に確認した。

そこに掲載されていたのは、新規創業の広告ではなく、

「上等室開湯」

と題した、浴室改良工事後の開湯を知らせる広告だった。

さらに、開湯前日の7月4日には、すでに湊山温泉が祇園祭の参詣客などで賑わっていたことも翌5日の新聞記事から確認できた。

阿部店長への再取材によれば、「1889年創業」という年は、約11年前にこの新聞資料が見つかり、当時ちょうど126周年=「いい風呂」という語呂が良かったことから、伊豆高原ビール側とも相談して採用されたものだという。

現在は7月3日が創業記念日となっているが、今回確認した『神戸又新日報』では、広告は7月4日から掲載され、7月5日からの「上等室開湯」を告知していた。

建物、浴場、経営主体が長い歴史の中でどのように変化してきたのかについては、さらに調査する余地がある。

しかし、少なくとも「湊山温泉」という名称が1881年にはすでに文献上存在していたこと、そして1889年の『神戸又新日報』が報じたのは新規創業ではなく浴室改良後の開湯だったことは、今回確認した史料から明らかになった。

現在の湊山温泉・入口または暖簾
写真:明治期の史料にもその名が残る湊山温泉。現在も同じ平野の地で営業を続けている。(撮影:筆者)

参考文献・史料

  • 中山忠親『山槐記[7]』治承3年(1179)条、国立国会図書館デジタルコレクション。
  • 河井庫太郎 編、河井鏻蔵 訂正『日本地学辞書』鈴木敬作ほか、1881年。
  • 長野一枝『兵庫県管内地誌略字引』金港堂、1885年8月。
  • 山陽鉄道会社『山陽鉄道旅客案内 巻之1』1889年6月。
  • 『花の園生』第13号、文明社、1892年2月。
  • 末正真剛・田辺六歌『摂西逍遥記―一名・兵庫近郷名所案内』川辺文金堂、1892年11月。
  • 『神戸又新日報』1889年(明治22)7月4日、5日、6日、神戸市立中央図書館所蔵。
  • 湊山温泉店長・阿部大氏への聞き取り、2026年9月22、23日。

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