【追記:その後の調査で新たな資料が見つかりました】
竹山聖さんご本人が約30年前の資料を確認してくださり、「コワレ・サビ」とスカイゲートのスケッチ、制作意図、発注者、施工業者、工事費などが新たに判明しました。
詳しくはこちらの記事にまとめています。
新開地に眠っていた記録をつなぐ|竹山聖「コワレ・サビ」とスカイゲートから読み解く震災前後のまちづくり

新開地商店街の入口、新開地3丁目付近を歩いていると、ひときわ目を引く巨大な鉄板があります。
茶褐色に錆びた大きな鉄板が立ち上がり、その表面には黄色い塗装の跡も残っています。
神戸生まれ・神戸育ちの友人から、この鉄板について「有名なもの」と聞きました。
しかし、改めて現地を見ても、目立つ案内板は見当たりません。
インターネットで「新開地 鉄板」「新開地 モニュメント」などと調べても、なかなか正体にたどり着けませんでした。
その後、作者である建築家・竹山聖氏ご本人と連絡が取れ、作品の制作意図や新開地の震災復興との関係について、直接お話を伺うことができました。
新開地商店街入口に立つ巨大な鉄板
場所は、新開地本通りの北側、新開地3丁目。
「フレール新開地3丁目」や「新開地まちづくりスクエア」がある一角です。
間近で見ると、単純な一枚の鉄板ではありません。
大きな鉄板を組み合わせたような構造で、表面には長年の風雨による錆が広がっています。
その一方で黄色い塗装も残っており、単なる建築設備ではなく、何らかの意図をもってつくられた造形物であることが分かります。



情報を求めたところ、さまざまな説が出てきた
この鉄板についてSNSで情報を求めたところ、いくつか興味深い情報が寄せられました。
その一つが、阪神・淡路大震災以前から進められていた「新開地アートビレッジ構想」との関係です。
新開地アートビレッジ構想は1991年に策定され、その後の震災復興や新開地のまちづくりとも結びつきながら具体化していきました。
また、新開地では建築物や公共空間を含め、街全体のデザインを考える取り組みが進められてきました。
そのため、この鉄板についても、新開地のアートや都市デザインに関係するものではないかと考えました。
一方、「1996年に制作された榎忠氏の作品ではないか」という情報も寄せられましたが、これは場所や年代などが一致せず、裏付けを確認することができませんでした。
調査を進めるうちに、この鉄板について確かな情報がほとんど残っていないことが分かってきました。
新開地まちづくりNPOへ問い合わせ
そこで、新開地のまちづくりに長年携わっている「新開地まちづくりNPO」へ問い合わせました。
すると、非常に興味深い回答をいただきました。
この造形物について、同NPOが設置したものではなく、数年前にも行政や地元の方に確認したものの、詳しい経緯は分からなかったとのことでした。
ただし、作品の近くの地面に設置された小さなキャプションから、次の3点が判明しました。
作品名:コワレ・サビ
作者:竹山 聖
建造年:1999年7月
その後、現地を再訪してキャプションそのものを確認・撮影することができました。キャプションは作品前にある石づくりのいすの道路側にあり、草木に隠れて非常に見つけにくい状態になっていました。

作者・竹山聖氏本人に確認
現地キャプションには作者として「竹山 聖」と記されています。
さらに今回、建築家で京都大学名誉教授の竹山聖氏ご本人に直接問い合わせたところ、
「はい、確かに私の作品です」
との回答をいただき、「コワレ・サビ」が竹山氏本人の作品であることが確認できました。
竹山氏は1992年から2020年まで京都大学で教鞭をとり、建築・都市に関する研究・教育とともに、さまざまな都市ヴィジョンを構想・提案してきた建築家です。
竹山氏によると、1992年に京都大学へ着任して以降、神戸市のさまざまなイベントに参加し、神戸に対して都市・建築に関する提案を行ってきたとのことです。
震災前から続いていた新開地のデザイン議論
竹山氏によると、阪神・淡路大震災以前から、新開地では街のデザインについて議論が続けられていました。
名称については「確か『新開地デザイン委員会』という名前だったと思います」とのことですが、竹山氏自身もその議論に参加し、アーケードの撤去などについて検討していたそうです。
そのプロセスのさなか、1995年1月17日に阪神・淡路大震災が発生しました。
震災後、新開地では、崩壊したアーケードを単に元に戻すのではなく、「復興のモニュメント」として再生しようという話になったといいます。
1998年「新開地アートゲート」
こうして竹山氏が手がけたのが「新開地アートゲート」です。

竹山氏本人によると、1998年4月頃に完成したとのことです。
震災によって崩壊したアーケードを「アートゲート」として復興する――新開地の街そのものを、復興を象徴する都市デザインとして再構成する試みでした。
「コワレ・サビ」だけを見ると単独の鉄の彫刻のように見えますが、新開地アートゲートから続く震災復興の都市デザインの流れの中で見ると、その位置づけが大きく変わってきます。
「時間」を刻みこんだ復興のモニュメント
そして翌1999年、「コワレ・サビ」が生まれました。
竹山氏によると、エントランス位置にある建物の壁面に「何かサインとなるものを」という要望があり、それに応えて作品を構想したとのことです。
その制作意図について竹山氏は、
「『時間』を刻みこんだ(壊れる、錆びる)復興のモニュメント」
と説明しています。
つまり、「コワレ・サビ」の錆は、単に27年間放置された結果というだけではありません。
「壊れる」「錆びる」「時間が経過する」という現象そのものを作品の中に取り込み、震災からの復興と、その後も流れ続ける時間を刻み込むことが、当初から作品の重要なコンセプトだったことが分かりました。
当初、現地を見た際には「鉄が朽ちていく時間そのものを含めて作品として捉えているのではないか」と推測していましたが、今回、竹山氏本人への聞き取りによって、その推測が作品の核心と重なっていたことが確認できました。
1999年7月という建造時期
「コワレ・サビ」が建造されたのは1999年7月です。
これは、阪神・淡路大震災後に整備された「フレール新開地3丁目」の竣工時期と重なります。
新開地まちづくりNPOからも、
「おそらく、フレール竣工のタイミングで設置されたと思われます」
との回答をいただきました。
さらに竹山氏本人の証言によって、「コワレ・サビ」が新開地のエントランスに位置する建物の壁面に設けるサインとして構想されたことも確認できました。
したがって、この作品は単独で後から置かれた彫刻ではなく、新開地の震災復興と建築・都市デザインの中で生まれた作品であることが、より明確になりました。
竹山聖氏と「神戸新首都計画」
竹山氏と震災後の神戸との関係は、新開地だけにとどまりません。
阪神・淡路大震災直後の1995年、竹山氏らは「神戸新首都計画―震災復興へのプロローグ」を提案しています。
竹山氏からは、当時の建築誌『GA JAPAN 14』(1995年5-6月号)に掲載された「神戸新首都計画」の資料も提供いただきました。
同計画の大型模型は現在も京都大学で保管されており、京都大学桂キャンパスの工学研究科中央図書館で継続的に展示される予定とのことです。
竹山氏はこの模型について、「記憶の継承のために、できれば永く収蔵保管してくれる施設を探しています」と話しています。
「新開地アートゲート」や「コワレ・サビ」も、こうした竹山氏による震災後の神戸への継続的な都市提案の流れの中に位置づけて見る必要がありそうです。
黄色いチャップリンのモニュメントとは別物
調査の途中で、もう一つ注意が必要なことが分かりました。
新開地には、チャールズ・チャップリンの横顔をモチーフにした黄色いモニュメントがあります。
新開地はかつて映画館や劇場が並んだ「聚楽館」をはじめ、映画・演芸の街として栄えた場所です。

新開地に設置されている、チャップリンの横顔を表した黄色いモニュメント。
この黄色いモニュメントについて書かれた過去の記事があるため、「コワレ・サビ」に残る黄色い部分もチャップリンを表しているのではないか、という話も出ました。
しかし、黄色いチャップリンのモニュメントと「コワレ・サビ」が同一作品なのか、あるいはデザイン上の関係があるのかは確認できていません。
両者は分けて考える必要があります。
発注者・施工者・事業費は引き続き調査中
今回、もう一つ気になったのが、この作品を誰が発注し、どのような事業として設置したのかという点です。
「コワレ・サビ」が建造された1999年7月は、震災復興事業として整備されたフレール新開地3丁目の竣工時期と重なります。
周辺では行政や公的機関が関係するまちづくり事業も進められていました。
竹山氏本人から制作の経緯やコンセプトについて確認することはできましたが、発注者、施工者、具体的な事業名、設置費用については、現在も確認中です。
竹山氏も「30年近く前のものなので」としながら、当時の資料を確認してくださっています。
したがって現時点では、
- 発注者
- 施工者
- 具体的な整備事業
- 公費・補助金との関係
- 作品単体の設置費用
については断定せず、今後の調査課題とします。
作品は残っていても、意味が失われつつある
今回の調査で印象的だったのは、「コワレ・サビ」という作品そのものは新開地の入口に残っている一方、その意味や制作経緯がほとんど街で伝わっていなかったことです。
現地には小さなキャプションがありますが、草木に隠れて見つけにくい状態です。
新開地まちづくりNPOでも、数年前に行政や地元の方へ確認したものの、詳しい経緯は分からなかったとのことでした。
しかし今回、作者本人への聞き取りによって、「コワレ・サビ」が単なる錆びた鉄板ではなく、「時間」を刻みこんだ震災復興のモニュメントであることが明らかになりました。
作品が物理的に残っているだけでは、都市の記憶が継承されているとは言えません。
誰が、いつ、何のためにつくったのか。
その記録を作品とともに残していくことも、震災復興の記憶を次世代へ伝えるうえで重要ではないでしょうか。
まとめ
新開地商店街入口にある巨大な錆びた鉄板。
今回の調査で、次のことが確認できました。
作品名:コワレ・サビ
作者:竹山 聖
建造年:1999年7月
さらに作者の竹山聖氏本人への聞き取りによって、この作品が「『時間』を刻みこんだ(壊れる、錆びる)復興のモニュメント」として構想されたことが明らかになりました。
その背景には、震災以前から続いていた新開地の都市デザインに関する議論があり、阪神・淡路大震災後には、1998年に「新開地アートゲート」、翌1999年に「コワレ・サビ」が生まれています。
つまり「コワレ・サビ」は、単なる街角の鉄の彫刻ではなく、新開地が阪神・淡路大震災からどのように復興しようとしたのかを現在に伝えるモニュメントだったのです。
一方で、
誰が発注したのか。
誰が施工したのか。
どの事業によって設置されたのか。
設置費用はいくらだったのか。
といった点は、現在も調査中です。
1999年から新開地の入口に立ち続けてきた「コワレ・サビ」。
錆び、変化しながら「時間」を刻み続けることそのものが、この作品の一部でした。
今後も当時の資料や関係者への聞き取りを続け、判明した内容について随時追記していきたいと思います。
関連記事:




コメント