菊水山の記念碑除幕式とは何だったのか|昭和11年6月5日 神戸新聞(第2面)

今朝、図書館で昭和11年の新聞をめくった。

自分が毎朝立っている菊水山の山頂。
その場所で約90年前に行われた出来事が、当時の言葉でそのまま残っていた。


目次

■ 神戸新聞(昭和11年6月5日 第2面)

見出し
「僕らの手ではらり 覆い外した記念碑
 菊水山植樹奉告祭りと除幕式 今日山上に感激の集い」

※本記事では、当時の新聞記事をもとに構成しています。
原文は旧仮名遣いや判読困難な箇所があるため、一部を現代語に改め、劣化の激しい部分は割愛しています。
※本文は神戸新聞原文を再確認し、一部表現を修正しています。


■ 昭和11年6月4日、山頂での出来事

記事から確認できる事実

・菊水山山頂で除幕式が開催
・植樹完成奉告祭と同時開催
・各小学校から代表 約250名参加
・市関係者・神職が出席


■ 式典の内容

当日の式典は、非常に厳粛なものだった。

・国旗掲揚
・君が代斉唱
・宮城(皇居)遥拝
・伊勢神宮遥拝
・湊川神社遥拝

さらに

・祭文朗読
・玉串奉奠
・工事報告


■ 石碑の公開

記事には次の描写がある。

純白の綱を引けば白布はサーっと薫風に踊り、
自然石の記念碑が勝田市長の筆の後、姿を現す


■ 除幕式当時の写真

※出典:神戸新聞(昭和11年6月5日 第2面)


■ 当時の山頂

・朝から登山
・午後まで式典
・午後2時ごろ下山

整備された登山道がない時代に、約250名が山頂に集まっている。


■ 植樹事業

・昭和10年5月開始
・神戸市内の小学校
・約1万2千人動員
・菊水紋を描く植樹


■ 現在の石碑

菊水山山頂の石碑と日の出 2026年3月

■ 関連動画

2025年から、朝の時間帯に300日以上連続して菊水山に通い、その中で記録してきた映像です。
日の出や山頂の空気感を、そのまま残しています。

※本記事で紹介している石碑は動画内には映っていませんが、同じ山頂に存在しています。


■ 設置時期について

確認できる事実

・昭和11年6月4日に除幕式
・この時点で石碑は山頂に存在

設置完了は確認できるが、設置が昭和10年か昭和11年かは本文からは判別できない。


■ 他紙の確認

大阪朝日新聞も確認したが、同内容の記事は確認できなかった。


■ まとめ

・神戸新聞(昭和11年6月5日 第2面)に除幕式記事あり
・約250名が参加する山頂での式典
・国家儀礼を伴う行事
・石碑はこの時点で設置済み
・設置年は未確定


■ 一言でまとめ


昭和11年、菊水山山頂で石碑が姿を現した記録

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コメント

コメント一覧 (1件)

  • 1.南側斜面の、木は、全くなく、子どもと話ながら、蟻地獄とか言い、砂を掘り、下の町を眺めていた。(昭和60年1985年
    2.2025年.40年経過後その斜面から、木が茂り、下は、何も見えない。
    3.署名菊水山から、23年.当初、小菊水当たり、手を振れば、確認できたが、現在、最近は、生駒山も、見えにくい。東屋から、六甲アイランドもみえなく、ポーアイしか見えない位、木が茂る。 
    4.雨、地滑りがあっても4.5十年て、松とか、茂ると、考えられる。
    5.以前見てもらった、写真は、1960年位と、思われるが、全体に、木は、全く無く、草原だった。入り口(車庫)は、木が、生え、うっそうなのに、そして、道中には、炭づくり箇所だと?誰か言う者もいた?。
    6.以前の、写真から、何も、木ない草原は、昭和13年の大水害で、葺合地区に大被害が生じた、原因の山崩れのため、菊水山より、上部の、山崩れがあったのでは、ないか。前回の、文中、269メートルの菊水山に、影響したのでは、ないのか?想像以外なんでもないが、疑問点わを述べたたけ。
    7.車庫入口、中里の下も、砂防ダムである。地形的に、山崩れの、新山かも。
    8.前記述の、269メートルの山との記載との関係が分からない。
    9.県土木事務所、建設局での調査も、参考になるかも知れない。

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