郷土史– tag –
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菊水山
なぜ石臼が残るのか|烏原貯水池に沈んだ烏原村の産業史
水没した村「鳥原(からすはら)村」と水車産業の痕跡【一次資料×現地調査】 概要 兵庫県神戸市の烏原貯水池(立ヶ畑堰堤(たちがはたえんてい))は、1905年(明治38年)に竣工した近代水道施設です。しかし、この湖底にはかつて、水車産業で栄えた「鳥原... -
菊水山
菊水山の菊水紋はなぜ維持されなかったのか|児童拠出と構造的限界から検証
菊水山は「自然の山」ではない 菊水山は、もともと「城ヶ越山」と呼ばれていた山である。しかし現在の「菊水山」という名称や、山肌に描かれた菊水紋、そして山頂の記念碑は、自然発生的なものではない。 昭和10年(1935年)の大楠公六百年祭を契機として... -
菊水山
臍岩とは何か|菊水山山頂で発見された「消えたランドマーク」を大正期文献から復元する
菊水山の歴史を調べる中で、ひとつの不可解な名称に行き当たった。「臍岩(へそいわ)」。 現在、この名前はほとんど知られておらず、位置も特定されていない。しかし、大正期の登山文献や縦走大会の記録には、確かにこの名称が登場する。 本記事では、一... -
菊水山
■ 神戸アルプスとは何か|定義は存在しないのか?大正期文献から再検証
「神戸アルプス」とはどこを指すのか。 現在、この語は統一的な定義を伴って用いられているとは言い難く、その指示対象は必ずしも共有されていない。 むしろ、大正期から昭和初期の文献を確認すると、この語は特定の地理範囲を示す固定概念ではなく、文脈... -
菊水山
城ヶ越山から菊水山へ|大正〜昭和の一次資料と現地調査で読み解く名称の変遷
※「城ヶ越山」の読みについては、大正期〜昭和初期の文献で複数の表記が確認されており、統一された読みが存在しないことが分かっています。 詳細な検証記事はこちら👇 城ヶ越山の読みは何か|大正・昭和初期文献と神戸新聞から検証 現現在「菊水山... -
菊水山
菊水山の石碑はどこで加工されたのか|山頂の巨石と神戸新聞から現地加工説を検証
菊水山山頂に立つ石碑は、いつ、どこで加工され、どのように設置されたのか。 昭和11年(1936年)の神戸新聞には、この石碑について「自然石の記念碑」と記されている。 では、この「自然石」はどこから来たのか。山頂に運ばれたのか、それとも現地で加工... -
菊水山
菊水山の石碑はいつ完成したのか|昭和11年除幕式と竣工時期を検証(神戸新聞・一次資料)
菊水山山頂にある石碑は、いつ完成したのか。 昭和11年6月4日に除幕式が行われたことは確認されているが、石碑の正確な竣工時期は記録として残っていない。 本記事では、神戸新聞および当時の教育資料・関連資料をもとに、事実と推定を整理する。 昭和11年... -
菊水山
城ヶ越山の読みは何か|神戸新聞(昭和10年)から再検証
※「城ヶ越山」の読みについては、大正期〜昭和初期の文献で複数の表記が確認されており、統一された読みが存在しないことが分かっています。 詳細な検証記事はこちら👇 城ヶ越山の読みは何か|大正・昭和初期文献と神戸新聞から検証 かつて現在の菊... -
菊水山
菊水山の菊水紋はなぜ消えたのか|昭和10年の神戸新聞と現地調査から検証
かつて菊水山の山肌には、**若松と2万本の菊水旗で描かれた「菊水紋」**が存在していた。 昭和10年(1935年)、大楠公六〇〇年祭にあわせて行われた植樹事業によって、山肌に浮かび上がったその紋は、当時の神戸新聞にも写真として記録されている。 しか...
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