烏原貯水池堰堤の英語刻字を読む|なぜ神戸の近代水道施設に英文銘板が残るのか

写真:『工業之大日本』第3巻第2号掲載の烏原貯水池堰堤外面
目次

はじめに

神戸市兵庫区の山中にある烏原貯水池は、神戸近代水道を支えた重要な水道施設です。

堰堤や取水口の周辺を歩くと、石に刻まれた複数の文字を確認できます。
中でも目を引くのが、堰堤に残る英語の銘板です。

そこには、

THE KOBE CITY WATER SUPPLY
KARASUWARA RESERVOIR
DURATION OF WORKS 1901—1904

といった英文が刻まれています。

ここは日本の神戸市にある水道施設です。
では、なぜ烏原貯水池の堰堤には、英語の刻字が残されているのでしょうか。

本記事では、現地で確認できる英文銘板を読み解きながら、明治期の神戸水道が西洋式の近代土木技術とどのように結びついていたのかを整理します。

あわせて、取水口上部の「養而不窮」、明治三十七年竣工、大正三年拡張の刻字についても紹介します。

写真:烏原貯水池堰堤全景
烏原貯水池堰堤。明治期に築かれた神戸近代水道の重要施設で、現在も現地に複数の刻字が残る。

烏原貯水池堰堤に残る英語の銘板

烏原貯水池堰堤には、英語で刻まれた銘板が残されています。

現地で読み取れる内容は、次の通りです。

THE KOBE CITY WATER SUPPLY
KARASUWARA RESERVOIR
DURATION OF WORKS 1901—1904

MAYORS
MR. Y. NARUTAKI 1901—1902
MR. H. TSUBONO B.L. 1902—1904
MR. F. KASHIMA MAYOR

日本語にすると、次のようになります。

神戸市水道
烏原貯水池
工事期間 1901年—1904年

市長
鳴瀧幸恭 氏 1901年—1902年
坪野平太郎 氏 1902年—1904年
鹿島房次郎 氏 市長

この銘板から、烏原貯水池が神戸市水道の一部として建設され、工事期間が1901年から1904年と刻まれていることが分かります。

また、鳴瀧幸恭、坪野平太郎、鹿島房次郎という、神戸市政に関わった人物名も確認できます。

烏原貯水池堰堤の英文銘板
烏原貯水池堰堤に残る英文銘板。「THE KOBE CITY WATER SUPPLY」「KARASUWARA RESERVOIR」「DURATION OF WORKS 1901—1904」と刻まれている。

「KARASUWARA」と刻まれた烏原の英語表記

銘板には、烏原貯水池を示す英語表記として、

KARASUWARA RESERVOIR

と刻まれています。

現在、「烏原」は「からすはら」と読まれることが多いですが、この銘板では “KARASUWARA” と表記されています。

このことから、少なくとも銘板が作られた時点では、英語表記として「からすわら」に近い読みが採用されていたことが分かります。

ただし、これだけで地名の正式な読みの変遷を断定することはできません。
ここでは、当時の英語銘板に残された表記として確認しておきたいと思います。

烏原貯水池堰堤の英文銘板
烏原貯水池堰堤に残る英文銘板。「THE KOBE CITY WATER SUPPLY」「KARASUWARA RESERVOIR」「DURATION OF WORKS 1901—1904」と刻まれている。

なぜ神戸の水道施設に英語の刻字があるのか

ここで疑問が生まれます。

烏原貯水池は、日本の神戸市に造られた水道施設です。
それにもかかわらず、なぜ銘板は英語で刻まれているのでしょうか。

結論からいえば、この英文銘板は外国人観光客向けの案内板というより、明治期の近代土木事業を示す技術銘板と見るのが自然です。

神戸は開港都市でした。
外国人居留地を抱え、港湾・貿易・衛生行政と深く結びついた都市として発展していきます。

その神戸にとって、近代水道の整備は単なる生活用水の確保ではありませんでした。
伝染病対策、都市衛生、港湾都市としての機能維持に関わる、極めて重要な公共インフラでした。

さらに、神戸水道の基本設計には、英国人技師 W・K・バートンが関わっています。
つまり、神戸近代水道は出発点から、西洋式の衛生工学・水道工学の文脈と結びついていました。

そのため、堰堤に英語で銘板を刻むことには、

この施設は西洋式の近代土木技術に基づいて築かれた神戸市水道の重要施設である

という意味があったと考えられます。

英語銘板は、単なる装飾ではありません。
明治期の神戸水道が、国際的な土木技術の文脈の中で建設されたことを示す「技術の署名」と言えるでしょう。

写真:英文銘板と堰堤周辺の位置関係
英文銘板は堰堤の構造物に刻まれている。観光案内というより、近代水道事業の記録としての性格が強い。

技術者名が刻まれたもう一つの英文銘板

烏原貯水池には、市長名を記した銘板とは別に、技術者名を刻んだ英文銘板も確認できます。

読み取れる内容は、次の通りです。

ENGINEERS

CONSULTING ENGINEER
MR. G. YOSHIMURA M.E. ASSOC. M. INST. C.E.

ENGINEER-IN-CHIEF
MR. T. SANO M.E. ASSOC. M. INST. C.E.

EXECUTIVE ENGINEER
MR. C. ASAMI.

DAM RAISED 9 FT DURING 1913—14

日本語にすると、次のようになります。

技術者

顧問技師
G. ヨシムラ 氏

主任技師
T. サノ 氏

工事担当技師
C. アサミ 氏

1913年から1914年にかけて、堰堤を9フィート嵩上げした

ここに刻まれた人物は、吉村長策、佐野藤次郎、浅見忠治を指すと考えられます。

特に、佐野藤次郎は神戸水道の歴史を考える上で重要な技術者です。
また、浅見忠治については、神戸市の水道関係資料や布引五本松堰堤の解説にも名前が見える人物で、銘板の “MR. C. ASAMI” はこの浅見忠治を指すと見るのが妥当です。

【写真挿入】
写真:技術者名を刻んだ英文銘板
キャプション:烏原貯水池の英文銘板には、吉村長策、佐野藤次郎、浅見忠治と考えられる技術者名が刻まれている。

技術者名を刻んだ英文銘板
烏原貯水池の英文銘板には、吉村長策、佐野藤次郎、浅見忠治と考えられる技術者名が刻まれている。

M.E. ASSOC. M. INST. C.E. とは何か

技術者名の横には、単なる氏名だけでなく、英語の肩書きも刻まれています。

銘板では、吉村長策と佐野藤次郎の名前に続いて、

M.E. ASSOC. M. INST. C.E.

と読める表記があります。

このうち、ASSOC. M. INST. C.E. は、英国土木学会 Institution of Civil Engineers の Associate Member、すなわち準会員・准会員を示す表記と考えられます。

当時の土木技術者にとって、英国土木学会との関係は、専門性や国際的な技術的評価を示す重要な肩書きでした。

一方、M.E. については、Master of Engineering または Mechanical Engineer など複数の解釈があり、この銘板だけから断定することは難しいです。

したがって本記事では、M.E. の意味については断定を避け、英語圏の技術系称号として慎重に扱います。

重要なのは、烏原貯水池の銘板が、単に工事関係者の名前を並べているだけではないという点です。
そこには、当時の技術者が英国系の土木技術制度と接続していたことが示されています。

このことも、烏原貯水池の英文銘板が「近代土木の技術銘板」であることを裏づけています。

写真:M.E. ASSOC. M. INST. C.E. の刻字拡大
吉村長策・佐野藤次郎の名の横には、英国土木学会準会員を示すと考えられる “ASSOC. M. INST. C.E.” の表記が刻まれている。

1913年から1914年に行われた9フィートの嵩上げ

技術者名の銘板には、次の一文も刻まれています。

DAM RAISED 9 FT DURING 1913—14

これは、

1913年から1914年にかけて、堰堤を9フィート嵩上げした

という意味です。

9フィートは約2.7メートルです。

つまり、烏原貯水池は明治期に竣工した後、そのまま固定された施設ではありませんでした。
神戸の人口増加や水需要の拡大に応じて、大正期に堰堤が嵩上げされ、貯水能力の増強が図られたことが分かります。

この英文銘板は、烏原貯水池が完成後も改良され続けた水道施設であったことを示す重要な現地資料です。

写真:DAM RAISED 9 FT DURING 1913—14 の刻字拡大
銘板には「1913年から1914年にかけて堰堤を9フィート嵩上げした」と記されている。

取水口上部の「養而不窮」と服部一三の揮毫

烏原貯水池の取水口上部には、「養而不窮」と刻まれた扁額があります。

これは、烏原貯水池を象徴する非常に重要な刻字です。

「養而不窮」は、直訳すれば「養いて窮まらず」。
水が人々の暮らしを養い、その恵みが尽きることのないように、という意味合いで読むことができます。

この扁額の揮毫は、当時の兵庫県知事・服部一三によるものです。

英文銘板が「近代土木の技術的記録」であるとすれば、「養而不窮」は水道事業の理念を示す言葉と言えます。

烏原貯水池は、単なる石造りの土木施設ではありません。
神戸という都市を養い続ける水の施設として、行政・技術・思想が重ねられた場所だったことが、この扁額からも読み取れます。

写真:取水口上部の「養而不窮」扁額
烏原貯水池取水口上部に掲げられた「養而不窮」の扁額。揮毫は当時の兵庫県知事・服部一三による。



堰堤に刻まれた明治三十七年竣工

写真:『工業之大日本』第3巻第2号掲載の烏原貯水池堰堤外面
烏原貯水池堰堤外面。写真左側に「佐野藤次郎氏寄稿」と記されている。佐野は現地英文銘板に “ENGINEER-IN-CHIEF MR. T. SANO” と刻まれた主任技師であり、竣工直後の堰堤の姿を伝える重要資料である。出典:『工業之大日本』第3巻第2号、工業之大日本社、1906年2月。

烏原貯水池には、英文銘板だけでなく、日本語による竣工年の刻字も残されています。

水の休憩所側には、

明治三十七年竣工

と刻まれています。

明治三十七年は1904年です。

これは、英文銘板にある、

DURATION OF WORKS 1901—1904

という工事期間の表記とも対応します。

つまり、烏原貯水池は1901年に工事が始まり、1904年に竣工したことが、英語銘板と日本語刻字の両方から確認できます。

なお、資料によっては烏原貯水池について「明治38年完成」「1905年完成」と説明される場合もあります。
この点については、竣工、完成、供用、事業完了といった扱いの違いが反映されている可能性があります。

少なくとも現地刻字では、「明治三十七年竣工」と明確に刻まれている。

写真:水の休憩所側に刻まれた「明治三十七年竣工」
水の休憩所側に残る「明治三十七年竣工」の刻字。英文銘板の工事期間1901—1904と対応する。

堰堤端に刻まれた大正三年拡張

さらに、堰堤端には、

大正三年拡張

と刻まれた文字も確認できます。

大正三年は1914年です。

これは、先ほどの英文銘板にある、

DAM RAISED 9 FT DURING 1913—14

という記述と対応します。

つまり、烏原貯水池は明治37年に竣工した後、大正3年に拡張されました。
その内容は、堰堤を9フィート、約2.7メートル嵩上げする工事だったと考えられます。

ここで重要なのは、英語銘板と日本語刻字が同じ事実を別の形で伝えていることです。

英語銘板には、

1913—14年に9フィート嵩上げ

と刻まれています。

一方、日本語刻字には、

大正三年拡張

と刻まれています。

この二つを合わせて読むことで、烏原貯水池が明治期に竣工し、大正期に拡張された水道施設であったことが、現地で具体的に確認できます。

写真:堰堤端に刻まれた「大正三年拡張」
堰堤端に残る「大正三年拡張」の刻字。英文銘板の “DAM RAISED 9 FT DURING 1913—14” と対応する。

英語銘板と日本語刻字が伝える烏原貯水池の履歴

ここまで見てきたように、烏原貯水池には複数の刻字が残されています。

英文銘板には、神戸市水道、烏原貯水池、工事期間、市長名、技術者名、そして9フィートの嵩上げが記録されています。

一方、日本語刻字には、「養而不窮」「明治三十七年竣工」「大正三年拡張」といった言葉が刻まれています。

これらを合わせて読むことで、烏原貯水池の歴史は次のように整理できます。

1901年 烏原貯水池工事開始
1904年 明治三十七年竣工
1913年〜1914年 堰堤を9フィート嵩上げ
1914年 大正三年拡張

英語銘板は、烏原貯水池が英国系近代土木技術の文脈で築かれたことを示す「技術の署名」です。

そして、「明治三十七年竣工」「大正三年拡張」の刻字は、その歩みを現地に刻み続ける年輪のような記録です。

烏原貯水池は、ただの古いダムではありません。
石に刻まれた文字を読むことで、明治から大正にかけて神戸の水を支えた行政官、技術者、そして近代都市としての神戸の姿が見えてきます。

烏原貯水池堰堤内面。佐野藤次郎氏寄稿
烏原貯水池堰堤内面。佐野藤次郎氏寄稿。出典:『工業之大日本』第3巻第2号、工業之大日本社、1906年2月。

まとめ

烏原貯水池堰堤に残る英語の刻字は、単なる装飾ではありません。

そこには、神戸市水道としての位置づけ、工事期間、市長名、技術者名、そして大正期の拡張工事が記録されています。

また、吉村長策・佐野藤次郎の名に添えられた “ASSOC. M. INST. C.E.” という表記からは、当時の日本人技術者が英国系の土木技術制度と結びついていたことも読み取れます。

烏原貯水池の英文銘板は、開港都市・神戸の近代水道が、西洋式土木技術の文脈の中で築かれたことを示す貴重な現地資料です。

さらに、取水口上部の「養而不窮」、水の休憩所側の「明治三十七年竣工」、堰堤端の「大正三年拡張」を合わせて見ることで、烏原貯水池が明治37年に竣工し、大正3年に拡張されたことを、現地の刻字から確認できます。

石に刻まれた文字は、今も静かに神戸水道の歴史を語り続けています。


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参考文献・参考資料

  • 神戸市水道局『神戸市水道百年史』神戸市水道局、2001年。
  • 『工業之大日本』第3巻第2号、工業之大日本社、1906年2月
  • 兵庫県教育委員会事務局文化財室『兵庫県の近代化遺産』兵庫県教育委員会、2006年。
  • 神戸市公式サイト「布引五本松堰堤」。
  • 神戸市公式資料「神戸水道の誕生」関連資料。
  • 神戸市立中央図書館 レファレンス協同データベース事例 管理番号:神戸図-264。
  • 現地確認:烏原貯水池堰堤、取水口上部扁額、英文銘板、「明治三十七年竣工」刻字、「大正三年拡張」刻字。
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