なぜ石臼が残るのか|烏原貯水池に沈んだ鳥原村の産業史

烏原貯水池堰堤

水没した村「鳥原(からすはら)村」と水車産業の痕跡【一次資料×現地調査】

概要

兵庫県神戸市の烏原貯水池(立ヶ畑堰堤(たちがはたえんてい))は、1905年(明治38年)に竣工した近代水道施設です。しかし、この湖底にはかつて、水車産業で栄えた「鳥原村」という集落が存在していました。

本記事では、烏原貯水池の石臼とは何か、その正体と歴史的背景を一次資料と現地調査から解説します。


明治期の鳥原村|水車産業の実態

当時の鳥原村が、周辺の農村とは一線を画す「産業村落」であったことは、以下の資料が証明しています。

  • 水車産業の記録(1898年)
    • 『神戸開港三十年史 上』(1898年)には、「鳥原には水車を有する者數戸あり」との記述が見られます。
  • 廃村時の詳細な規模(1910年)
    • 『神戸市水道誌』(1910年)によれば、当時の村は戸数98戸、人口414人を数えました。
    • 特筆すべきは、線香粉の生産量が年間2000俵に達していた点です。
  • 水車軒数の裏付け
    • 『西摂大観 下巻』には「水車二十軒」との記載があり、村の中で水車業が広く営まれていたことが分かります。

現地写真|石臼の実在確認

【写真①:石臼 全景】

石臼全景
烏原貯水池の護岸に残る石臼。円形構造と中心の穴が確認できる。

【写真②:石臼 拡大】

石臼拡大
複数の石臼が確認できる。水車産業が集団的に存在した証左であり、これらは現在も烏原貯水池周辺で確認でき、散策中に実際に観察することができます。

【写真③:石臼案内板】

石うす案内板
複数の石臼が確認できる。貯水池柵の外に設置してある石うすの解説をする案内板(神戸市水道曲)

石臼とは何か|生産工程を担う装置

鳥原村における石臼は、単なる調理器具ではありませんでした。

  • 水車(動力)→ 石臼(粉砕)→ 線香粉(商品)

という生産体系が成立しており、石臼は生産工程を担う装置として機能していました。製造された粉は、線香の主原料として堺や大阪、東京、京都へと広く出荷されていました。

明治期写真|水没前の鳥原村

【写真④:明治期の鳥原村】

村の昔写真
水没前の鳥原村。山間に集落が形成され、豊かな水力を活かした生活が営まれていました。

鳥原村はなぜ消えたのか

明治33年(1900年)、神戸市の急速な近代化に伴う水源確保のため、村全体が買収されました。当時の記録には、都市発展の礎となった住民の苦境を思い「酷だ苦たむ所なりし(酷で苦しむべきこと)」という痛切な言葉が刻まれています。

歴史的背景|中世から続く集落

『西摂大観 下巻』等の記述によれば、この地の歴史は南北朝時代にまで遡ります。

  • 開拓: 延元元年(1336年)、新田義貞の家臣・谷口泰重が湊川の戦いでの敗戦後、この深谷に隠れ住み、開墾したのが始まりと伝えられています。
  • 由緒: 聖徳太子ゆかりの観音像を安置した願成寺があり、古くは「上野」と呼ばれていました。

水をめぐる思想|「養而不窮(ようじふきゅう)」に込められた意味

烏原貯水池は単なる土木構造物ではありません。取水塔の入口には、その建設理念を象徴する「養而不窮」の四文字が刻まれた扁額が掲げられています。

【写真⑦:取水塔入口の扁額】

「養而不窮」の文字
取水塔入口に掲げられた「養而不窮」の文字。現地では「従三位 服部一三」の署名も明瞭に確認できる。

この言葉は中国の古典『易経』の「井」の卦に由来し、「人々を養っても、尽きることがない」という水の恵みの永続性を表しています。

  • 都市を支える水: 汲めども尽きぬ豊かな供給への願い。
  • 生活を維持する基盤: 徳や政治のあり方を井戸に例えた哲学的な背景。
  • 枯渇しない供給: 近代都市神戸を支え続けるという強い決意。

実際に現地でこの文字を見上げると、静かな貯水池の風景の中で、その理念だけが強く浮かび上がってくるのを感じます。署名は第13代兵庫県知事・服部一三によるものです。開港後の衛生環境改善に尽力した服部氏が自ら筆を執った事実は、この施設が技術だけでなく確固たる「思想」を伴って建設されたことを物語っています。


結論

烏原貯水池のほとりに残る石臼は、単なる石の塊ではありません。

それは、水車産業による線香粉生産という誇り高い歴史の記憶であり、水没した鳥原村の生活が確かにそこにあったことを示す「産業の痕跡」です。

そして堰堤や取水塔に刻まれた「養而不窮」の精神は、先人たちがこの地に託した「都市の未来を潤す」という不変の誓いです。湖底に沈んだ民の営みと、地上に聳える官の理想。この双方が響き合うことで、烏原貯水池は神戸の近代化を今に伝える場所として、静かに存在し続けています。

近代産業化資産と神戸市指定景観資源の銘板
烏原貯水池堰堤入り口の銘板。近代産業化資産と神戸市指定景観資源

参考文献

  • 『神戸開港三十年史 上』(1898年)
  • 『神戸市水道誌』(1910年)
  • 『西摂大観 下巻』(仲彦三郎 編、中外書房、1965年/原本明治期)
  • 現地調査(2026年4月、5月)
烏原貯水池堰堤
全長約122mの堰堤。アーチ型構造により水圧を分散している。

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