湊川公園に残る史跡を歩く|神戸の近代都市と群衆の記憶装置

湊川公園は、神戸市兵庫区にある身近な公園である。

昼にはベンチで弁当を食べる人がいて、子どもたちが遊び、毎月第4土曜日には湊川公園手しごと市が開かれる。私自身も、ここで神戸市北区で採れたはちみつをよく買っている。

しかし、この公園を歩いていると、足元にはいくつもの歴史の層が重なっていることに気づく。

湊川跡碑。
大楠公像と三つの石碑。
日本のマラソン発祥の地。
カリヨン時計塔に残る神戸タワーの記憶。
そして、現在も人々が集まる手しごと市。

かつてこの場所は、湊川という天井川の一部だった。
その土手は、神戸と兵庫を分ける物理的な壁でもあった。

ところが、湊川の付け替えによって生まれた新しい土地は、やがて「湊川新開地」と呼ばれ、人々を集める都市空間へと変わっていく。

人の流れを遮っていた川の土手が、のちに人を集める公園と歓楽街の背骨になった。

本記事では、湊川公園に残る史跡をたどりながら、この場所を**「神戸の近代都市と群衆の記憶装置」**として読み解いていく。

現在の湊川公園。日常の公園風景の中に、旧湊川、新開地、大楠公像、神戸タワー、日本マラソン発祥地の記憶が重なっている。
現在の湊川公園。日常の公園風景の中に、旧湊川、新開地、大楠公像、神戸タワー、日本マラソン発祥地の記憶が重なっている。

目次

湊川公園は旧湊川の跡地に生まれた

現在の湊川公園を歩いていると、ここがかつて川筋だったことを意識する機会は少ない。

しかし、「新開地」という地名は、本来「湊川新開地」と呼ばれた場所に由来する。つまり、湊川の付け替えによって生まれた新しい土地である。

『湊川新開地ガイドブック』では、湊川は高さ6mにおよぶ堤防をもつ天井川で、兵庫と神戸のあいだに横たわり、交通の妨げとなっていたと説明されている。さらに、新開地は本来「湊川新開地」と呼ばれたが、かつて川筋だったことが忘れられ、「新開地」が固有名詞化したという。

かつての湊川は、川でありながら、ふだんは水の少ない砂地でもあった。土手には松が茂り、人々が憩う場所でもあった。

つまり湊川公園は、もともと人の流れを分断していた川の記憶と、その川を付け替えることで生まれた都市空間の記憶を同時に持っている。

ここで重要なのは、湊川の付け替えが単なる河川工事ではなかったという点である。

それは、神戸と兵庫を分けていた巨大な土手を取り払い、都市の中に新しい人の流れを生み出す出来事だった。

かつての「壁」は、やがて人々を集める「背骨」へと変わった。

湊川跡碑。現在の公園風景の中に、かつてこの場所が旧湊川の流路と関わる空間であったことを伝えている。
湊川跡碑。現在の公園風景の中に、かつてこの場所が旧湊川の流路と関わる空間であったことを伝えている。
湊川公園から新開地方面を見る。湊川の付け替えによって生まれた「湊川新開地」は、のちに神戸を代表する歓楽街へと発展した。
現在も湊川公園に隣接する映画館。湊川の付け替えによって生まれた「湊川新開地」は、のちに神戸を代表する歓楽街へと発展した。

大楠公像と三つの石碑|昭和10年の群衆の記憶

湊川公園の中でも、ひときわ強い歴史の層を持つのが大楠公像である。

現在は静かに立つ銅像だが、昭和10年5月22日、この場所では大楠公像の除幕式が行われた。神戸新聞はその様子を大きく報じ、官民一千余名が参列したこと、白布が引かれて馬上の大楠公像が姿を現したこと、参列者が拍手に包まれたことを伝えている。

現在の公園からは想像しにくいが、この場所はかつて、昭和10年の大楠公六百年祭を前に、人々の熱狂が集中した空間だった。

大楠公像の周囲には、三つの石碑が残されている。これらは、銅像建設の経緯、六百年祭の規模、そして後世に残そうとした記録の意志を伝えている。

ここで重要なのは、大楠公像が単なる銅像ではなく、昭和10年の都市的な記憶を固定する装置として置かれていることである。

湊川公園は、明治以降、都市の人々が集まる場所として意味を変えてきた。
大楠公像の除幕式もまた、その流れの中で起きた大きな群衆の記憶だった。

湊川公園の大楠公像除幕式の様子(神戸新聞昭和10年5月22日夕刊)
湊川公園の大楠公像。現在は静かな公園の一部となっているが、昭和10年5月22日には除幕式が行われ、多くの人々が集まった神戸新聞昭和10年5月22日夕刊)
湊川公園 大楠公像を囲む3つの石碑
大楠公像の周囲に残る三つの石碑。銅像建設、大楠公六百年祭、後世への記録という複数の意味を現在に伝えている。

昭和10年5月22日の大楠公像除幕式については、当時の神戸新聞写真と現地石碑をもとに別記事で詳しく検証している。


日本のマラソン発祥の地|近代スポーツと群衆

湊川公園には、日本のマラソン発祥の地を示す記念スタートラインと案内板がある。

案内板によれば、明治42年、1909年3月21日、ここ湊川埋立地川池東から大阪の西成大橋まで、日本最初のマラソン競走が行われた。大阪毎日新聞の主催で、408名の志願者から選ばれた18人が完走し、岡山県の金子長之助が優勝した。

この出来事は、単なるスポーツイベントではない。

日本人にマラソンやオリンピックを広く知らせる契機となり、1912年のストックホルム大会で日本が五輪に初参加する前夜の出来事でもあった。

ここでも湊川公園は、人々が集まり、新しい時代の出来事を目撃する場所だった。

旧湊川の跡地に生まれた空間は、やがて近代スポーツの出発点にもなった。
人々はこの場所から走り出す選手を見送り、近代日本の新しい身体文化を目撃したのである。

日本のマラソン発祥の地を示すスタートライン。明治42年、ここ湊川埋立地川池東から日本最初のマラソン競走が始まった。
日本のマラソン発祥の地を示すスタートライン。明治42年、ここ湊川埋立地川池東から日本最初のマラソン競走が始まった。
案内板には、明治42年3月21日に行われた日本最初のマラソン競走の概要が記されている。
案内板には、明治42年3月21日に行われた日本最初のマラソン競走の概要が記されている。

神戸タワーとカリヨン時計塔|新開地の繁栄を見上げた記憶

現在の湊川公園で目に入る塔は、カリヨン時計塔である。

しかし、かつてこの場所には神戸タワーがそびえていた。

神戸タワーは、大正13年、1924年に湊川公園内に建てられた。当初は新開地タワーと呼ばれ、高さは90m、海抜100mに達したという。浅草の凌雲閣、大阪の通天閣と並ぶ「日本三大望楼」とも称された。

『湊川新開地ガイドブック』では、神戸タワーの建設と解体の時期は、それぞれ新開地の大きな変貌期と重なっていると説明されている。建設された大正13年は、湊川公園に音楽堂もでき、まもなく神戸有馬電気鉄道の湊川駅も開設され、新開地が昭和の黄金時代へ向かう時期だった。一方、解体された昭和43年は、神戸高速鉄道が開通し、新開地をめぐる人の流れが大きく変わる時期だった。

神戸タワーは、単なる展望塔ではなかった。

それは、湊川公園に垂直に立ち上がった都市の指標だった。

大正から昭和にかけて、人々はこの塔を見上げ、新開地の繁栄を感じた。
昭和になると塔には広告が掲げられ、阪神電車やビオフェルミンなどのネオンが新開地の夜を照らした。

しかし、昭和43年、神戸タワーは解体される。
同じ年、神戸高速鉄道が開通し、私鉄各社の路線が地下でつながった。

かつて地上を歩き、映画館や劇場、商店街へ流れていた群衆は、次第に地下へと吸い込まれていく。
新開地は、目的地から通過点へと意味を変えていった。

神戸タワーの建設と解体は、新開地という街の変貌を示している。

それは、湊川公園の上に立っていた一本の塔であると同時に、神戸の人の流れがどう変わったのかを示す都市の目でもあった。

現在のカリヨン時計塔は、その記憶を受け継いでいる。
神戸タワーそのものは失われたが、湊川公園には今も、かつて人々が見上げた塔の記憶が残っている。

現在の湊川公園に立つカリヨン時計塔。かつて同じ湊川公園にそびえていた神戸タワーの記憶を伝えている。
現在の湊川公園に立つカリヨン時計塔。かつて同じ湊川公園にそびえていた神戸タワーの記憶を伝えている。
カリヨン時計塔に掲げられた往時の神戸タワー写真。写真集からの転載ではなく、現地にある表示として記録したもの。
カリヨン時計塔に掲げられた往時の神戸タワー写真。写真集からの転載ではなく、現地にある表示として記録したもの。
セメント統制會大阪出張所 編『セメント界彙報』第108号、セメント界彙報発行所、1925年2月。
鉄筋コンクリート神戸タワー 出典:セメント統制會大阪出張所 編『セメント界彙報』第108号、セメント界彙報発行所、1925年2月。

湊川公園かいわいにあった娯楽都市の記憶

湊川公園は、新開地の娯楽文化とも深く結びついていた。

『神戸新開地物語』では、湊川公園かいわいに神戸タワー、水族館、公園ホテル、湊川温泉、音楽堂、博覧会などがあったことが記されている。

つまり湊川公園は、単なる緑地ではなかった。
新開地のにぎわいと一体になった都市空間だった。

人々はここで塔を見上げ、水族館を訪れ、温泉に入り、映画を見て、博覧会を楽しんだ。

湊川公園は、近代神戸の娯楽と群衆の記憶を背負っていた。

ただし、その記憶は明るい娯楽だけではない。

新開地には劇場、映画館、温泉、商店、信仰の場、そして福原の記憶も重なっている。
湊川の土手の周辺には、人々の暮らし、商売、信仰、遊興が入り混じっていた。

湊川公園を中心に新開地を見ていくと、近代都市のきらびやかさだけでなく、そこに集まった民衆の生活の厚みも見えてくる。

湊川公園から新開地方面へ続く道。かつてこの一帯には、神戸タワー、水族館、湊川温泉、公園ホテルなどが集まり、娯楽都市としてにぎわった。
湊川公園から新開地方面へ続く道。かつてこの一帯には、神戸タワー、水族館、湊川温泉、公園ホテルなどが集まり、娯楽都市としてにぎわった。
現在の新開地方面。湊川公園と新開地は、かつての「湊川新開地」として一体的に発展してきた。
現在の新開地方面。湊川公園と新開地は、かつての「湊川新開地」として一体的に発展してきた。

湊川改修の裏側に残る土着の記憶

湊川公園を旧湊川の跡地として見るとき、もう一つ忘れてはならないのが、川の改修によって掘り起こされ、移され、あるいは埋もれていった記憶である。

近代都市としての神戸は、河川改修や道路整備によって大きく姿を変えた。
しかし、その過程で動かされたのは土砂や水の流れだけではない。

そこには、旧い信仰や石仏、地域の記憶も含まれていた。

たとえば、夢野大師福寿院の奥ノ院には、湊川改修工事で見つかったと伝わる石仏が祀られている。これは湊川公園から少し離れた場所にあるが、湊川改修が都市空間だけでなく、信仰の記憶にも影響を与えたことを示している。

湊川公園の記事の中心は、あくまで公園内に残る史跡である。
しかし、旧湊川をめぐる記憶は、公園の中だけに閉じていない。

湊川の付け替えは、新開地という近代都市の舞台を生み出す一方で、地中にあった古い記憶を掘り起こし、別の場所へ移していった。

この視点を持つと、湊川公園は単なる都市開発の成功例ではなく、近代化の表と裏を同時に映す場所として見えてくる。

湊川改修工事で見つかったと伝わる石仏と、夢野大師福寿院奥ノ院の由来については別記事で整理している。

「奉納」と刻まれた石の段の上に鎮座する中央の石仏。石仏には「右」と刻まれている。
湊川改修工事で見つかったと伝わる石仏を祀る福寿院奥ノ院。旧湊川の記憶は、湊川公園の外にも残されている。

現在も人が集まる湊川公園|湊川公園手しごと市

湊川公園は、過去の記憶だけを残す場所ではない。

毎月第4土曜日には、湊川公園手しごと市が開かれる。公園には雑貨、食品、野菜、焼き菓子、手工芸品などの店が並び、多くの人が訪れる。

私自身も、この手しごと市で神戸市北区で採れたはちみつをよく買っている。

かつて神戸タワーや水族館、湊川温泉、博覧会でにぎわった湊川公園は、形を変えながら、今も人の流れを生み出している。

もちろん、現在の手しごと市と昭和の新開地の熱狂を単純に同一視することはできない。
しかし、人々がこの場所に集まり、店をのぞき、会話をし、買い物をして帰っていくという営みは、湊川公園が今も都市の中で生きていることを示している。

石碑や銅像を見て歩いたあと、手しごと市の出店をのぞいてみると、この公園が単なる史跡ではなく、現在の暮らしの中にも息づいていることがわかる。

湊川公園は、過去の記憶を保存するだけの場所ではない。
今も、人が集まることで記憶を更新し続けている場所なのである。

毎月第4土曜日に開かれる湊川公園手しごと市。現在も湊川公園には多くの人が集まる。
毎月第4土曜日に開かれる湊川公園手しごと市。現在も湊川公園には多くの人が集まる。
湊川公園手しごと市で購入している神戸市北区産のはちみつ。史跡のある公園は、現在の暮らしともつながっている。
湊川公園手しごと市で購入している神戸市北区産のはちみつ。史跡のある公園は、現在の暮らしともつながっている。

まとめ|湊川公園は神戸の近代都市と群衆の記憶装置である

湊川公園は、ひとつの史跡だけで語れる場所ではない。

旧湊川の土手。
湊川跡碑。
大楠公像と三つの石碑。
日本最初のマラソン競走。
神戸タワー。
新開地の娯楽文化。
湊川改修の裏側に残る土着の記憶。
そして現在の湊川公園手しごと市。

それぞれの時代に、人々はこの場所に集まり、歩き、見上げ、祈り、遊び、買い物をしてきた。

かつて人の流れを分断していた天井川は、付け替えによって新しい都市空間を生み出した。
その上に、公園ができ、塔が建ち、銅像が置かれ、スタートラインが刻まれ、市が開かれるようになった。

湊川公園は、神戸の都市がどのように人を集め、どのように記憶を重ねてきたのかを示す場所である。

いわばここは、神戸の近代都市と群衆の記憶装置なのだ。

湊川公園は、旧湊川から新開地、大楠公像、神戸タワー、現在の手しごと市まで、人々が集まり続けてきた場所である。
毎年ゴールデンウィーク恒例の新開地音楽祭。そのメイン会場でもある湊川公園。旧湊川から新開地、大楠公像、神戸タワー、現在の手しごと市まで、人々が集まり続けてきた場所である。

参考文献

  • セメント統制會大阪出張所 編『セメント界彙報』第108号、セメント界彙報発行所、1925年2月。
  • のじぎく文庫 編『神戸新開地物語』のじぎく文庫、1973年。
  • 新開地アートストリート実行委員会『湊川新開地ガイドブック』2003年。
  • 神戸市立図書館「KOBEの本棚」第60号「神戸タワー」。
  • 神戸市「神戸を知る 神戸タワー」。
  • 湊川公園「日本のマラソン発祥の地」案内板。
  • 現地石碑・現地案内板。

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