菊水山の由来|91年前に作られた幻の菊水紋

※「城ヶ越山」の読みについては、大正期〜昭和初期の文献で複数の表記が確認されており、
統一された読みが存在しないことが分かっています。

詳細な検証記事はこちら👇

城ヶ越山の読みは何か|大正・昭和初期文献と神戸新聞から検証

「※本記事の内容は、その後の一次資料調査により再検討されています。最新の検証はこちら」 ↓

  1. 昭和10年5月20日、菊水山山頂の石碑はまだ現在地になかった|大楠公六〇〇年祭の植樹式から検証
  2. 菊水山の菊水紋はなぜ消えたのか|昭和10年の神戸新聞と現地調査から検証
  3. 菊水山の名はいつ成立したのか|昭和10年5月の神戸新聞から検証

神戸市兵庫区にある菊水山。
神戸アルプスの山のひとつとして知られています。

しかし、この山の名前がついたのは比較的新しく、
今から 91年前の昭和10年(1935年) のことでした。

この年、楠木正成公を顕彰する
大楠公六百年祭が行われました。

その際、それまで 城ヶ越山 と呼ばれていた山が
菊水山へと改名されたのです。


目次

菊水山の名前の由来

菊水山という名前は
楠木家の家紋である 菊水紋 に由来します。

六百年祭の記念事業として

  • 山頂に「菊水山」の石碑を設置
  • 山腹に菊水紋の形で松を植樹

という計画が行われました。

つまり菊水山は
楠木正成公を象徴する山として整備された山でもあります。


山に描かれた「菊水紋」

当時、山の斜面には
菊水紋の形になるように松が植えられました。

神戸の街から見上げると
山肌に菊水紋が浮かび上がる。

そんな構想だったとも言われています。

しかし実際には

  • 松が育つ前に周囲の森林が成長
  • 山の樹木に覆われた

そのため
神戸の街から菊水紋の形を見ることは
ほとんど出来なかったと伝えられています。

まさに

幻の菊水紋

と呼ばれる存在です。


菊水山の朝

私は毎朝、この菊水山に登っています。

今朝も山頂で朝日を拝むことができました。

その朝の様子を動画に記録しています。


菊水山は神戸アルプスの山

六甲山系の山々は
かつて「神戸アルプス」と呼ばれていました。

急峻な尾根と起伏の多い地形が
アルプスのようだと例えられたのです。

菊水山もその山並みのひとつです。

神戸の街のすぐ近くにありながら
深い歴史を持つ山でもあります。


まとめ

菊水山という名前は

  • 昭和10年(1935年)
  • 大楠公六百年祭
  • 城ヶ越山から改名

という歴史の中で生まれました。

そして山腹には
楠木家の家紋である菊水紋を描く松が植えられました。

しかしその形は
神戸の街からはほとんど見えなかったとも言われています。

幻のように語り継がれる
菊水の松。

今もその歴史は
菊水山の山頂に静かに残っています。

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  4. 菊水山とは何か?

石碑の調査結果(動画)

5年かけて辿り着いた調査結果を、映像としてまとめました。
菊水山の石碑の由来と結論を記録しています。


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