ザ・ノンフィクション- 徳島うどん物語 テレビ取材の天国と地獄
金沢から徳島へ移ってしてすぐにうどん屋のアルバイトについた。時給が良かったのと、四国にきたからには讃岐うどんの打ち方を覚えてみたいと思ったからだ。
徳島のサティの近くにある「麺奉行」というお店で、大将は大手の音楽教室の会社からの脱サラで、まだ開店して半年も経っていないお店だった。
音楽一家の家族経営で、奥様はお店を手伝いながらオペラ歌手もされていて、やはりオペラ歌手というのは自然に自然がよくなるらしく、背筋がピーンと伸びた超美人だった。
手打ちでうどんを仕込むというのは重労働で、これはやってみないと理解されないかもしれないが、1日100人前も仕込むのは大変だ。
讃岐うどんの大きな特徴は、塩水を使用してうどんを熟成させるという事だ。コシを出すためにそうする。
さらにコシを出したい場合は、塩水と小麦粉をミキサーで混ぜた後に、ビニールシートの上に載ってうどんを踏み込む。これが本当に重労働で、腰に相当負担がかかる。
脱サラをした大将は腰を痛めて、まだバイトを始めたばかりの私にうどんの仕込みを任せた。当時、体重が3桁
あったので、うどんのコシを出すためにも良いからと言われて、うどんを仕込み出した。
もともと、金沢でも飲食店で多くのアルバイトをしていたので、うどんの仕込みもうどん打ちもすぐに覚えた。
勤め出してから2ヶ月くらいで、地元の徳島テレビの取材がきて、放映された。
放映後は行列の人で、大変な忙しさだった。ただ問題なのは急に忙しくなるとお店の質が落ちるという懸念がある。
今までやっていたおでんを辞めたり、サービスの低下はあったのだろうと思う。
後、テレビで放映され続ければ良いが、宣伝効果というのは一時的なもので、どうしても安定的な需要というのは見込めない。
という事で、テレビ出演を嫌がるお店というのも出現してくる。一時的に需要が増加しても、長い目で見るとお店にとって良いことはないから。
高松の峰山公園から夕焼けを楽しむ筆者
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