9月入学・そもそも4月入学はなぜ。問題は入学時期なのか?
2020年5月1日の日経新聞で「コロナ時代の仕事論」と題して、「他人と自分を比べない」という楠木健さんの
記事に目が止まった。大人の幼児性について語り、
「世の中にはいろいろな得手不得手の人がいる。そうした人々の相互補完的な関係が仕事を成り立たせている。それが社会の良いところだ。他人を気にせず自分と比べず、いいときも悪いときも自らの仕事と生活にきちんと向き合う。それが大人というものだ。」
という締め括りがされていた。
今、国際基準に合わせた9月入学に移行する議論が浮上してきたが、この「他人と自分を比べない」いうフレーズにパーマネントライフという映画で観たフィンランドの小学校の校長先生の言葉を思い出した。
フィンランドはPISAと呼ばれる学力の習熟度調査でも常に上位を占め、その教育制度には高い関心が持たれています。で、映画では校長先生に小学校の生徒に卒業するまでのメインゴールは何かと聞かれる場面がある。
長い映画の中でもその場面が印象的に残る
メインゴール
何よりも自主性を持って、どう学ぶかを教えること
寛容さ
多様性、他人との違いを理解し、誰もが大切な存在で助けを必要としていること
思いやり(Love each other)
卒業するまでに学んで欲しい
まあ本当に子供だけでなく、大人の自分でも一生をかけて学んでみたいことだけども、こんな回答がスラスラ
出てくるところが、教育ってものを本質的に考えているんだなっと実感する場面である。
フィンランドも色々と試行錯誤をし今の教育システムに辿りついたという。学校を変えるには10年〜20年はかかる。7歳から15歳の義務教育での授業時間はフランスより週で90分、合計すると2000時間も少ない。
フィランランドの特徴としては、官僚主義が少ないこと。省は自治体を信用し、地方自治体を信用する。そういう意味で、現場でいろんな試行錯誤ができる。
振り返って、江戸時代の教育はとみますと、幕府主体の強い封建制度にもかかわらず、幕府も各藩も民間の教育にはほとんど干渉しませんでした。
今は文部科学省という大きな役所があって、官僚統制が小学校から大学まで隅々に及んでいます。
フィンランドと日本を比較してはいけませんが、何だか「自由を求めれば求めるほど、不自由になる」という言葉を絵に書いたようなです。
そもそも何で4月入学?
コロナ騒動のおり、9月入学の議論が浮上しきているが、日本では、文明開化の号令の元に明治初期に欧米の教育システムを導入した。その当初は9月入学制度だった。明治から大正にかけて4月入学制度に変更された。
4月入学になった理由の一つが、徴兵制度との関係です。1886年12月、徴兵検査を受ける義務のある満20歳男子の届け出期日が9月1日から4月1日に変更されています。
これに応じて、教員養成の中核として設置された東京教育大学(1886年設立)の前身である高等師範学校が、4月入学に変更となり、その他の尋常師範学校もこれに追随しました。
高等師範学校(明治初期から連合国占領期にかけての教員養成期間)には20歳以上の新入生が多く、9月入学のままだと優秀で頑強な人材が陸軍に取られてしまう。軍との人材獲得競争がありました。
1907年には、「徴兵猶予願」の書類の締切が4月15日になりました。それ以降の入学者は在学証明書をもらえないという不都合が生じるため、私立大学の前身である専門学校も学年の始まりを4月1日にしました。
ということで、入学式に桜がきれいだからとかの理由や、教育効果への期待というよりは、軍や役人の都合によって4月入学が生まれたという側面が大きいのです。
参考文献
Web page: 出会いと別れが春になった理由 4月入学、背景には軍の存在が・・・
映画:
TOMORROW パーマネントライフを探して(字幕版)
書籍:
見てきたように絵で巡る ブラッとお江戸探訪帳 (講談社文庫)
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