菊水山の歴史を調べる中で、ひとつの不可解な名称に行き当たった。
「臍岩(へそいわ)」。
現在、この名前はほとんど知られておらず、位置も特定されていない。
しかし、大正期の登山文献や縦走大会の記録には、確かにこの名称が登場する。
本記事では、一次資料・現地調査・証言をもとに、
この「臍岩」の正体を復元する。
臍岩とは何か|消えたランドマークの正体
「臍岩」とは、現在の地図には記載されていない名称である。
しかし大正期の登山記録には、神戸アルプス縦走ルート上の重要な地点として記されている。
それは単なる岩ではなく、登山者にとっての通過点であり、
ルートを象徴するランドマークであった可能性が高い。
大正期文献に現れる「臍岩」
『近畿の登山』(大正13年)には、次のような記述がある。
登路稍急、臍岩に登る徑は急峻にして面白し
また、大正11年に開催された神戸アルプス縦断徒歩競争大会では、
- 大倉山公園
- 鍋蓋山
- 臍岩
- 烏原貯水池
というルートが記録されている。
当時は山名が確定していない時代であり(『登山と遊覧』大正14年)、
山頂そのものではなく、ランドマークとしての名称が使われていた可能性がある。
大正期の手書き地図に見る城ヶ越山と臍岩

大正13年発行『近畿の登山』には、
「城ヶ越山」「神戸アルプス」とともに描かれた手書き地図が掲載されている。
この地図には「神戸二万分一地図参照」との注記があり、
当時の公的地形図をもとに作成された登山ルート図であることがわかる。
つまり、ここに描かれている地名は、
実際の登山経路上で認識されていた地点である可能性が高い。
特に注目すべきは、現在の菊水山に相当する位置に
「城ヶ越山(しろがごえさん)」と記されている点である。
さらに、その登路上に「臍岩」が存在していたことが示唆される。
城ヶ越山(しろがごえさん)と臍岩の関係
大正期の登山文献において、現在の菊水山は「城ヶ越山」と呼ばれていた。
そしてその登路上に、「臍岩」というランドマークが存在していた。
山名が未確定だった当時においては、
山頂名ではなく、特徴的な地点の名称がルート上の指標として用いられていたと考えられる。
現地調査|菊水山山頂直下の急峻な岩場


現地調査の結果、菊水山山頂南側に急峻な岩場の登りが確認できる。
この地点は
・山頂三角点から約10m以内
・急登の岩場
・ルート上の通過点
という特徴を持ち、文献の記述と一致する。
決定的特徴|“臍”のように盛り上がる岩

この地点に存在する岩は、中央が盛り上がる特徴的な形状をしている。
その姿は「臍(へそ)」という名称の由来と一致しており、
視覚的にもランドマークとして認識されやすい形状である。
なぜ臍岩は消えたのか|山の環境変化



かつての菊水山は、現在よりもはるかに視界が開けており、
岩が露出していたと考えられる。
しかし近年は植生の増加により、岩は見えにくくなっている。
さらに登山者の高齢化により、山の維持管理が行き届かなくなったことも、
景観の変化に影響している可能性がある。
証言|登頂8000回の登山者が語る菊水山
菊水山登山会関係者(85歳)の証言によると、
約50年前は山全体が開けており、平野まで見渡せる状態だったという。
これは、岩がランドマークとして機能していた環境と一致する。
結論|臍岩はどこにあったのか
現時点では、「臍岩」の位置は確定したとは言えない。
しかし、
・大正期文献
・縦走大会記録
・手書き地図
・現地地形
・証言
これらを総合すると、
菊水山山頂南側直下のこの岩が、
当時「臍岩」と呼ばれていた可能性は極めて高い。
今後、さらなる資料や証言により、
その位置が確定する日が来るかもしれない。
関連動画
菊水山山頂および臍岩周辺の様子を動画で記録しています。
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参考文献
- 近畿登山研究会 編『近畿の登山』ヤナギ会、大正13年(国立国会図書館デジタルコレクション所収)
- 関西体育奨励会 編『登山と遊覧 : 近畿名所その附近』大正14年(国立国会図書館デジタルコレクション所収)
- 神戸市『全縦白書』六甲山系の登山大会等
※本記事で引用した大正期文献は、国立国会図書館デジタルコレクションにて誰でも閲覧可能である。


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