神戸市兵庫区、菊水山。
現在、山頂の石碑が知られているが、その背景には大規模な植樹事業があった。
昭和10年、大楠公六百年祭にあわせて行われたこの事業は、
神戸市内の小学校が総動員される形で実施されている。
さらに当時の新聞では、
この菊水山が市章山・錨山と並ぶ「神戸の三名物」になる存在として位置づけられていた。
本記事では、当時の新聞記録および写真資料をもとに、その実態を整理する。
■ 植樹事業の概要
昭和10年5月、菊水山において植樹事業が開始された。
この事業は、楠木正成を顕彰する大楠公六百年祭の一環として実施されたものである。
■ 動員された人数
神戸新聞の記録によると、
・神戸市内の小学校が主体
・職員・児童あわせて約1万2千人
👉 神戸市全体を巻き込む規模
■ 菊水紋の形成方法
植樹は単なる緑化ではない。
👉 山の斜面に「菊水紋」を描くためのもの
この作業は
・人の手による配置
・位置を揃えた植え付け
👉 完全な手作業
■ 神戸三名物という位置づけ
当時の神戸新聞には、次のような記述がある。
やがて2、3年の後に英雄殉死の地を遥か脚下に見下ろして
錨山、市章山と共に国都神戸の三名物の一つとならうことに
👉 菊水山は当初から
👉 市章山・錨山と並ぶランドマークとして構想されていた
■ 市章山・錨山との共通点
市章山・錨山は、現在も神戸を象徴する存在として知られている。
・山肌にマークを描く
・都市の象徴として視認される
・夜間には電飾としても機能
👉 菊水山も同様に
👉 山そのものを“象徴として設計”された存在だった
■ 菊水紋の写真資料

昭和13年の災害復旧工事の際に兵庫県が撮影した写真では、
菊水山の山肌に菊水紋が明確に確認できる。
👉 植樹が実際に形として成立していた証拠
※出典:藤井八郎・黒子兵吾編『創立30周年記念誌』菊水山登山会(2008年)
■ なぜ菊水紋だったのか
菊水紋は
👉 楠木正成の家紋
この事業は楠公六百年祭の一環であるため、
👉 象徴として採用された
■ 山での作業の実態
約1万2千人が動員され、
👉 山の斜面に分散して作業
当時は現在のような整備された登山道ではなく、
👉 人力での作業
■ 石碑との関係
この植樹事業と並行して
👉 山頂に記念碑が設置
昭和11年6月4日
👉 植樹完成奉告祭と除幕式が同時に行われた
■ まとめ
・昭和10年、植樹事業開始
・神戸市内の小学校が総動員
・約1万2千人が参加
・手作業で菊水紋を形成
・市章山・錨山と並ぶ「神戸三名物」として構想
・昭和13年時点でもその形状が確認できる
・翌年、石碑除幕式と結びつく
■ 一言でまとめ
👉 菊水山は「都市の象徴として設計された山」だった
参考文献
・神戸新聞(昭和10年・11年)
・藤井八郎・黒子兵吾編『創立30周年記念誌』菊水山登山会(2008年)
関連動画
※本記事で紹介している石碑は動画内には映っていませんが、
同じ菊水山山頂に存在しています。山頂活動記録は、動画でも記録しています。
■ 菊水山石碑に関する調査記事まとめ
・菊水山の記念碑除幕式とは何だったのか

・設置時期の検証

・関連動画



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