【ケーススタディー】契約書にハンコ不要、政府が初見解、メール履歴で取引証明
ハンコって、いろんな意味があるのよね?
2020年6月19日のキンスマでオードリーの売れない時代の苦労話が放送されていました。
オードリー独特の「ずれ漫才」は、ボケとツッコミが入れ替わり、ボケがツッコミという固定観念が強い春日の特性を活かした試行錯誤の上に出来上がった漫才スタイル。それを思いついた若林であったが、当初はうまくいかずに滑り続けたというお話でした。
滑り続けた奴らにとって、一番大切のなのは誰かの後押しでした。ある時、リーダーこと渡辺正行の前で漫才をする機会があり、おおよそが最後までさせてもらえず漫才を途中終了させられる中、最後まで見てもらい「M1の決勝レベルの漫才だね」の言葉が彼らの後押しするハンコとなり、成功へのきっかけとなる自信につながったと若林は語ります。
そいう意味での、他社から認められるのに「ハンコ」や「太鼓判」という言葉を使うが、ハンコをもらうためにオフィスに必要があるという商業文化はバカバカしいけれども、この自信に繋がる「ハンコ」の言葉はいいなと感じました。
同日の日経新聞夕刊では、下記のように報道しています(一部抜粋)
政府は19日、民間企業や官民の取引の契約書で押印は必ずしも必要ないとの見解を初めて示した。押印でなくてもメールの履歴などで契約を証明できると周知する。押印のための出社や対面で作業を減らし、テレワークを推進する狙いがある。
新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、政府は民間企業にテレワークを推進し、出勤する人の削減を要請してきた。民間企業からは「押印のため出社しなければならない」などとの指摘が出た。
政府の規制改革推進会議は5月、契約で不必要な押印を削減するため、指針の作成を提言した。今回、政府は初めて見解を示した。
民事訴訟法は契約書など文書が正しく成立したことを推定する手段に本人や代理人の署名や押印を挙げる。訴訟リスクを避けるため、過剰に押印を求める慣行があった。実際は押印以外も裁判所の判断材料になるため、押印は必須ではないと強調した。
「押印についてのQ&A」というのを内閣府、法務省、経済産業省の連名で6月19日付けで公表されました。
契約書に押印をしなくても、法律違反にならないの?
この文書では「特段の定めがある場合を除き、押印しなくても契約の効力に影響は生じない」と記してあります。
文書の成立の真正を証明する手段を確保するために、どの
ようなものが考えられるの?
この文章では「継続的な取引関係がある場合取引先とのメールのメールアドレス・本文及び日時等、送受信記録の保存(請求書、納品書、検収書、領収書、確認書等は、このような方法の保存のみでも、文書の成立の真正が認められる重要な一事情になり得ると考えられる。)」と記してあります。
本人による押印がなければ、民訴法第 228 条第4項が適用
されないため、文書が真正に成立したことを証明できないこと
になるの?
この文章では、「形式的証拠力を確保するという面からは、本人による押印があったとしても万全というわけではない。そのため、テレワーク推進の観点からは、必ずしも本人による押印を得ることにこだわらず、不要な押印を省略したり、「重要な文書だからハンコが必要」と考える場合であっても押印以外の手段で代替したりすることが有意義であると考えられる」と記してあります。
- 【表】政府が示した押印の代用策
- ○メールなどの本文、送受信記録の保存
- ○氏名や住所が確認できる身分証明書の保存
- ○本人確認した時の郵便やメールのやりとり
- ○電子署名
フランス人の友人から受けた質問
フランス人の友人から最近、こんな質問を受けました。
日本人はハンコを押す必要があるので、在宅勤務したくないの?
なんでもジャパンタイムズの英語版の記事、「日本の伝統的なハンコシステムはテレワークスをはばむ」をみたらしいです。
ちょっと驚いちゃったんですけど、最近、2ヶ月ぶりにオフィスへ行って、同僚との会話をしていると、
いやー僕の仕事はオフィスにこないとできないんですよ。見積書を発行するのに会社でハンコを押してもらえないとできないんでー
フランス人のマチルダには、「本当だよ」と答えたが、まあ本当に本当で、ハンコのために毎日オフィスに行く必要がある仕事だと思っている商習慣から脱するには、多くの時間がかかるように思えました。
不動産屋での出来事
最近、不動産賃貸の契約をする時のこと、契約書にシャチハタを押そうとした時、
シャチハタは駄目なんですよ。よければ100円均一でハンコ買ってきますので、それでお願いします
シャチハタが駄目な理由として、インクが2、3年で酸化して、契約印がはっきりと見えなくなるので朱肉でないといけないといいます。
しかし、よく考えればわかるが、100円均一で誰でも購入できるようなハンコ自体に一体なんの意味があるだろうと思うんですが。
シャチハタでも大丈夫、または手書きのサインの方が効力があると言っても、もうその習慣で身についた人にとっては、何を言っても駄目なのである。要は、「合理的な理由」を考えなくなるのです。
まとめ
とういう事で、世の中にはたくさんの意味のないもの、合理的なものが存在していて、その習慣が身についている人を説得するには合理的な説明をしても通じないものです。
内閣府、法務省、経済産業省の連名で、ハンコについて「特段の定めがある場合を除き、押印しなくても契約の効力に影響は生じない」と文書を公表したことには意味があると思います。
しかしながら、ここで考えなければいけないのは、世の中は多くの無駄で成り立っているという点で、なかなか簡単にこれは無駄だと安易に決めつけるのもまた危険であるということです。
オードリーがもらった自信、コント赤信号のリーダー・渡辺正行さんからの「ハンコ」の言葉のように「ハンコ」というのは自信を与えてくれるいい意味を持っている。物事を多面的にみる視点やユーモアがこの世の中には欠かせないのです。そして、全体的に考えて、ハンコが必要か不要かの意思決定が経営者には求められています。
はんこ制度継続
一方、6月25日には、自民党の「日本の印章制度・文化を守る議員連盟」(はんこ議連)が、はんこ制度の継続を訴える動きを強めている事が発覚しました。
19日付で要望書を岸田文雄政調会長に提出。新型コロナウイルス対策として広がったリモートワークの推進をはんこが阻んでいるとの声が出ていることについて「いわれないバッシング」と反論している。
要望書は「記名と押印」が持つ法的効力は「署名」と同等とし、「紙による文書決裁、認証を得るためわざわざ出勤しなければならない」ことが本質だと指摘した。その上で「国民にとって有益な」はんこ制度の継続を要求。一方、印鑑登録などの行政手続きのオンライン化も求めた。
なぜ、このような要望書を提出したのかを、大企業や官庁の組織の制度から考えてみます。ご興味のある方は、下記の記事をご覧ください。
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