リーダーシップ/東洋と西洋の比較
フランスの学校で勉強してみたいと思ったのは、ヨーロッパ人のリーダシップに学ぶべきところが多く、どんな教育がされているか興味をもったのが一つです。
思うのはいいんだけど、これが実際にやるのと、考えるのでは違って、結構辛い目にあう。
ある日、フランス人のアンと意見交換していて、ハッとする事を言われた。アンは、将来はアジアで働きたいと思っており、日本にも好感をもっているような女の子。
で、彼女から言われたのは、
なんでアジア人は自分のアイデアと存在感を強く示さないの?
確かに、グループディスカッションを含めてアジア人、特に日本人、中国人は大人しいというか、教育のバックグランドがヨーロッパと違うのです。私なんかも日本では、刺激的とか過激的言われますが、ヨーロッパ人の中に入れば、大人しい部類になってします。
学校に通い始めた何度も反省して、自分の意見、存在感を示さないといけないなと何度も思いました。
でも、何ヶ月も経つうちに、彼らのいい加減さというか、例えば、人の仕事やアイデアをまるで自分がやったように発表したりする姿を経験するうちにこう思い始めました。
なんで西洋の学生は自分の強く意見や存在感を主張しないと理解できないのか?
大体、そんなに大きな声で力いっぱい主張しなくても、理解できない方が問題なんだろうっと。
少し逆ぎれにも近いものがあるかもしれませんが、そう思い始めました。で、日本人は惜しいなって思いました。例えば、日本にはたくさんの優秀な技術者、研究者がいますが、それを主張したり、自分の存在感を示すのが弱い。その為に、せっかく開発した技術を盗まれたり、世に出なかったりする事が多いのではないかと。
しかも西洋人などは、よっぽど強く言わないと理解できないですから。
それで、キャンパスに一人しかいない日本人ですから、西洋と東洋の違いに興味をもって、リーダシップに与える影響というのを纏めました。
出所:Stewart and Bennett (1991), Nakamura Hajime (1991)より筆者が作成
小さな空間で他人と暮らす事に慣れてきた日本人
西洋のリーダシップ理論でよく教えられるのは、「妥協」や「譲歩」は敗北を意味し、常にWin-Winの方法を考える必要があると説かれます。
これが日本人の私には馴染まないんです。中国人の学生も同様です。理解ができません。だから西洋のリーダーシップ論は日本人には合わないでしょう。
譲歩、順応、適合、妥協という言葉を聞いて敗北を感じる日本人はまずいない。大体、日本人の会社組織に入って、リーダーイコール妥協と忍耐と言っても過言でないですから。
特に日本人の場合は、早くから江戸、堺を中心に都市化が進みましたから、小さな空間で他人と暮らす事に慣れるのが必然とされました。助け会い、感情を制御しながらの集団行動に長けています。
小学校や中学校の義務教育なんか見ると、そんな日本の企業で求めらえるようなリソース製造工場みたいになっていますが。
ある時、神戸の六甲山にハイキングしていると、遠足にきた中学生の団体がいて、これからランチを食べるのに一斉に合図して食べなければならない光景をみてゾッとしました。そして、一人でもその群れから離れている子がいると、「先生、●●君が離れてマース」っていう他の生徒が教師に言いつけたりして。
なんでみんなで固まって、同じ時間から食べ始めないといけないのか?しかも、みんなで同じ服装。ずっと小さ頃からそのような教育を受けていると、それが当たり前になってしまうのです。そして、それがおかしいとは思わなくなるのです。
今のご時世だったら、みんながマスクしているからといった理由、ずっとマスクつけていたり。
久しぶりに帰ってきた日本でみた光景は、違和感がありました。でも、これが小さな頃から受けてきた教育だと思い出しました。今の時代にはもう合わなくなってきている。教員も時代にあった教育システムが望まれます。
教育では最先端をいっていると思う、フィンランドについて、フランス映画の「パーマネントライフ」で紹介されていた。
そこで出演していたフィンランドの小学校の校長先生と教員のコメントが心に残った。
子供たちに何を伝えたかという問いに、知識を習得するのでなく学び方を、自分と他人とは違うという事、誰もが一人では生きていけないという事。ご興味のある方は、下記の記事をご覧頂ければと思います。
参考文献
Stewart, E. C., & Bennett, M. J. (2011). American cultural patterns: A cross-cultural perspective. Hachette UK.
Nakamura, H. (1991). Ways of thinking of eastern peoples: India, China, Tibet, Japan. Motilal Banarsidass Published.
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