菊水山の石碑に刻まれた「昭和10年5月」は竣工日ではない|神戸新聞から確認できる事実

神戸市兵庫区、菊水山山頂にある「菊水山」と刻まれた石碑。
この石碑については、これまで刻字の「昭和10年5月」から、昭和10年建立と理解されることが多かった。

しかし、昭和11年6月5日付の神戸新聞第2面を確認すると、
この理解は再検討が必要だと分かった。

本記事では、石碑に刻まれた「昭和10年5月」が何を意味するのか、
神戸新聞の記述と現地確認をもとに、現時点で確認できる事実を整理する。


目次

■ 神戸新聞(昭和11年6月5日 第2面)の記述

昭和11年6月5日神戸新聞第二面

見出しは次の通り。

「僕らの手ではらり 覆い外した記念碑
 菊水山植樹奉告祭りと除幕式 今日山上に感激の集い」

本文では、次のように記されている。

昨年5月、大楠公殉死の大祭典行に伴って神戸全小学校が記念のために職員児童一万二千余名を動員し、手作業で菊水の紋章を描いて聖雄の遺徳を忍んだ、あの記念の我らの松だ、やがて2、3年の後に英雄殉死の地を遥か脚下に見下ろして錨山、市章山と共に国都神戸の3名物の1つとならうことに昨年来工事中だった勝田神戸市長の筆になる「菊水山」の記念碑もこのほど目出たく竣工したので四日午前10時から現場においておごそかに記念碑除幕式があげられました。

※本記事では、当時の新聞記事をもとに構成しています。
原文は旧仮名遣いや判読困難な箇所があるため、一部を現代語に改め、劣化の激しい部分は割愛しています。
※本文は神戸新聞原文を再確認し、一部表現を修正しています。


■ 確認できる事実1|昭和10年5月は植樹事業の起点である

新聞記事では、まず**「昨年5月」に大楠公殉死六百年祭に伴う記念事業として、
神戸市内の全小学校が職員・児童
一万二千余名**を動員し、
手作業で菊水紋を描く植樹を行ったことが記されている。

つまり、昭和10年5月という日付は、
少なくとも新聞記事の文脈では、植樹事業と大楠公六百年祭の時期を示している。


■ 確認できる事実2|記念碑は「昨年来工事中だった」と報じられている

同じ記事には、
「昨年来工事中だった」
「このほど目出たく竣工した」
とある。

ここから分かるのは、神戸新聞が当時、
この石碑を昭和10年5月の時点ですでに完成していたものとは書いていないということだ。

少なくとも新聞の叙述に従えば、
昭和10年5月は石碑の竣工時点ではなく、
その後もしばらく工事が続いていたことになる。


■ 確認できる事実3|昭和11年6月4日に除幕式が行われた

新聞記事は、
昭和11年6月4日午前10時から、現場で記念碑除幕式が行われた
と伝えている。

この時点で分かるのは次の事実である。

・昭和11年6月4日に除幕式があった
・その時点で石碑は山頂に存在していた
・石碑は勝田神戸市長の筆になるものとして紹介されている


■ 石碑刻字の「昭和10年5月」と新聞記述は一致しない

ここが今回の重要点である。

石碑には「昭和10年5月」と刻まれている。
一方で、神戸新聞はその石碑について、
「昨年来工事中だった」
「このほど竣工した」
と報じている。

この2つをそのまま並べると、
**「昭和10年5月=竣工日」**とは読めない。

なぜなら、新聞の文脈では、昭和10年5月のあとも工事が続き、
除幕式直前に竣工したと記述されているからである。

したがって、現時点で最も整合的なのは、
石碑に刻まれた「昭和10年5月」は竣工日ではなく、大楠公六百年祭に対応する記念日付である
という理解である。


■ 菊水山は当初から「神戸三名物」の一つとして構想されていた

この新聞記事で特に重要なのは、
菊水山が単なる植樹地や山頂記念碑の場所ではなく、
錨山・市章山と並ぶ「国都神戸の3名物」の一つになる存在として語られている点である。

新聞には、次のような趣旨の記述がある。

やがて2、3年の後に英雄殉死の地を遥か脚下に見下ろして錨山、市章山と共に国都神戸の3名物の1つとならうことに

つまり、菊水山の植樹事業は、
単なる記念植樹ではなく、
神戸の都市景観を象徴するランドマーク形成の一環として構想されていたことになる。

市章山と錨山が神戸を代表する山麓ランドマークであることを考えると、
菊水山の菊水紋もまた、当時の神戸において同じ文脈で位置づけられていたことが分かる。


■ 菊水紋の写真資料

昭和13年の災害復旧工事の際に兵庫県が撮影した写真では、
菊水山の山肌に菊水紋が浮かび上がっている様子が確認できる。

この写真は、昭和10年に始まった植樹が、
実際に山肌の図像として成立していたことを示す重要な資料である。

※出典:藤井八郎・黒子兵吾編『創立30周年記念誌』菊水山登山会,2008.11


■ 現在の石碑

現在も山頂に残る石碑の側面には、
「設計・施工 深井工務店」
と刻まれている。

この深井工務店については、
施工時期や所在地などを確認するため、
神戸市立中央図書館に問い合わせを行っている。


■ 関連動画

※本記事で紹介している石碑は動画内には映っていませんが、
同じ菊水山山頂に存在しています。山頂活動記録は、動画でも記録しています。


■ 現時点で言えること

今回の資料確認から、現時点で事実として整理できるのは次の通りである。

・昭和10年5月、大楠公六百年祭に伴う植樹事業が行われた
・神戸市内の全小学校が職員・児童一万二千余名を動員した
・菊水山は錨山、市章山と並ぶ「神戸三名物」の一つとして構想されていた
・昭和11年6月4日に記念碑除幕式が行われた
・石碑に刻まれた「昭和10年5月」は、神戸新聞の記述と照らす限り、竣工日とは一致しない
・したがって、「昭和10年5月」は大楠公六百年祭に対応する記念日付である可能性が高い


■ 今後の調査

今後は次の点をさらに確認したい。

・深井工務店の実在確認と施工時期
・工事報告の原資料
・大楠公六百年祭の事業報告書
・当時の追加新聞記事や写真資料

特に、除幕式当日に行われたとされる工事報告の内容が確認できれば、
石碑の施工時期や竣工時期の理解はさらに進む可能性がある。


■ まとめ

菊水山山頂の石碑に刻まれた「昭和10年5月」は、
これまで竣工日や建立年と読まれがちだった。

しかし、昭和11年6月5日付の神戸新聞を確認すると、
その日付は石碑の竣工を示すものではなく、
大楠公六百年祭に由来する記念日付と考えるほうが、
資料全体の整合性が高い。

菊水山の石碑は、
単なる山頂の記念碑ではなく、
神戸の都市景観と楠公顕彰を結びつけた事業の中で生まれた存在だった。


■ 参考文献

・神戸新聞 昭和11年6月5日 第2面
・藤井八郎・黒子兵吾編『創立30周年記念誌』菊水山登山会,2008.11
・現地石碑(刻銘確認)
・神戸市立中央図書館への照会内容

■ 菊水山石碑に関する調査記事まとめ

菊水山の記念碑除幕式とは何だったのかhttps://blog-furukawa.com/kikusuiyama-monument-unveiling-1936-kobe-shimbun/

・設置時期の検証

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