菊水山はいつから特別だったのか|古代遺物と名前の変遷

菊水山山頂には、昭和10年に建立された石碑があります。

しかし——

この場所の歴史は、それよりはるかに古い可能性があります。

目次

【① 古代の痕跡】


『神戸の史跡』(神戸市教育委員会編)によると、菊水山山頂付近では、

須恵器片(すえきへん)が採集されている
・縄文時代とみられる石鏃(せきぞく)も採集されている

と明記されています。


👉 この地点が、古代から人と関わりのあった場所である可能性を示しています。


【② 古墳の可能性】


また、山頂付近には古墳の存在も指摘されています。

ただし、現時点では位置の特定などは明確ではなく、
「指摘されている段階」と捉えるのが妥当です。


【③ 歴史的名称の変遷】


これらに加えて、山の名称自体も時代によって変化していることが分かります。

『神戸の史跡』には、菊水山の名称の変遷についても記されています。

現在「菊水山」と呼ばれているこの山は、
昭和10年の大楠公六百年祭を契機に名称が変更されたものです。

それ以前は、
「城ヶ越山(じょうがこしやま)」と呼ばれていました。

さらに中世の文書には、
「大角木(おおつぬぎ)」という名称も見られます。


【④ 意味(考察)】


つまり、この山は——

時代ごとに名前が変えられてきた場所です。

その時代ごとの価値観や意味が、
上書きされてきた場所とも言えます。


【⑤ 現代との重なり】


現在、この場所には電波塔が二基建てられています。

古代の痕跡が残る可能性のある場所と、
現代のインフラ。

この重なりは、非常に興味深いものがあります。


【⑥ 地形変動の可能性(証言)】


さらに、長年この山に通い続けている方からは、
昭和13年の大水害による地形変動の可能性も指摘されています。

現在見えている地形は、
過去と同じではない可能性もあります。


【⑦ まとめ】


菊水山は、単なる登山の対象ではなく、

古代から現代まで、
人と関わり続けてきた場所なのかもしれません。

参考文献

・『神戸の史跡』(神戸市教育委員会 編/神戸新聞社/1975年)



なお、山頂の石碑については別記事で詳しく解説しています。


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