何もない空白を恐れる恐怖は、古くからある美術の原理の一つ
2020年4月1日付けのファイナンシャル・タイムズを読んでいると、何とも言えない詩的な表現があって引かれた。アメリカ政治のコメンテータ、ジャナン・ガネシュ氏の記事だ。
コロナウィルスの感染拡大で、今の国際情勢と言うのはアメリカ一極集中でない事を浮き彫りしてした点。最近主張されている二極化した世界と言う訳でもない事。既存の大国であるアメリカが、あまりにも機能不全に陥って指導力を発揮できるずいる。しかし、その競合相手と目されている中国にしてもアメリカに取って変わるだけの実力も信頼感も不足している。そして、それらに変わり得る第3の大国も存在しなければ、諸国連合も見えやしない。
「従って、現在のこの国際情勢は無極化している事がこの問題で露呈された」といった主旨の内容となる。本文はこのようになっている。
As its one service to us, then, the pandemic is exposing the true state of global affairs in the early 21st century. It is now plain enough that we no longer live in a unipolar world. But then nor do we exactly live in the bipolar one of such loud and recent billing. When it matters, the established power is too dysfunctional to lead but its rival lacks the capacity or the trust to fully supplant it. Neither is there a persuasive third power or coalition of countries. Settle in, therefore, to what we must call the non-polar world.
この記事の中で、”
Horror vacui, or fear of the void, was an old principle of art. It rejected the idea of empty space in a painting. History does not even allow the choice.From time to time, it throws up a vacuum. ”
と言う表現がある。
ホラー・ヴァキュイと言うのは、ラテン語で「虚無に対する恐怖」と言う事で、デザイン・美術の原理としては現在では使われる事が多く、なるべく空間を残さない様式として認知されています。
「何もない空白を恐れる恐怖は、古くからある美術の原理の一つ」と訳しますが、それは絵画に空白を残す事を否定する。しかし歴史はそんな選択を許さない。歴史は時に空白を出現させる。
なかなか詩的な表現の文章です。全文はリンクを張っておきますので、ご興味のある方はご覧ください。
で、ここで全く違う話になるのですが、この美術の余白から思い出されるのが長谷川等伯の松林屏風図だ。上野にある国立美術館で開催されていた長谷川等伯展示館でこの作品をみた。隣に美術の先生らしき人が教え子にこの屏風をみながら、「普通の絵は空間を埋めようするが、この画はあえて空間を残して絵を浮かび上がらせようとしている」と説明したのが耳に入ってきて、今でも記憶に染みついている。
石川県の能登で生まれた長谷川等伯、同じ桃山時代のライバル狩野永徳と並んで今では評されていますが、当時は非主流派であり悔しい想いをしていました。この松林屏風図(国宝)は水墨画の最高傑作として美術史上に名を残しますが、多くの謎が残っています。
しかしながら、人々を引きつける魅力は、この空間、空白が絵を際ただせいる作品となっている事です。「何もない空白を恐れる恐怖は、古くからある美術の原理の一つ」と言うコラムから思い出されました。
また情勢が落ち着き、美術館が再開された時にみる長谷川等伯の松林屏風図は違った風景を見せてくれるでしょう。
コメント