菊水山の命名については、これまで「昭和10年5月20日の植樹式と同時」と理解していた。
しかし、昭和10年5月18日の神戸新聞を確認したことで、より具体的な事実が見えてきた。
結論として、
植樹式以前の段階で「菊水山」という名称はすでに計画されていたことが確認できる。
■① 現在の菊水山

■昭和10年5月18日 神戸新聞の記述

記事には、以下の内容が記されている。
- 城ヶ越山に菊水紋章を描く計画
- この山を**「菊水山と命名」する予定**
- 神戸市内の小学校児童・職員が関与する奉賛事業
つまり、菊水山という名称は植樹式当日に決まったものではなく、
事前に計画され、共有されていた名称である可能性が高い。
※本記事では、当時の新聞記事をもとに構成しています。
原文は旧仮名遣いや判読困難な箇所があるため、一部を現代語に改め、劣化の激しい部分は割愛しています。
※本文は神戸新聞原文を再確認し、一部表現を修正しています。
■② 植樹式後の山肌に浮かぶ菊水紋

■命名のタイミング整理
- 昭和10年5月18日
→ 「菊水山と命名予定」と報道 - 昭和10年5月20日
→ 植樹式(命名を伴う式典) - 昭和11年6月4日
→ 石碑除幕式
👉
命名 → 植樹 → 石碑設置という流れが確認できる。
■③ 石碑の設置

「石碑はいつ設置されたのか(除幕式動画)」
■「城ヶ越山」の読みについて
記事中では
「城(しろ)ヶ越」
と振られている。
私はこれまで「じょうがこしやま」と認識していたが、
少なくとも当時の新聞では「しろ」が用いられている。
👉
地元資料との照合により、呼称の変遷を整理する必要がある。
■児童が関与した命名事業
記事では、神戸市内の小学校児童・職員が
奉賛事業として関与していることが強調されている。
- 学校単位での参加
- 児童の動員
- 植樹と命名の一体化
👉
教育的・象徴的事業として行われた可能性が高い。
■神戸新聞(昭和10年5月)の確認結果
昭和10年5月の神戸新聞をマイクロフィルムで通読したが、
私が確認できた範囲では、菊水山に関する記事は
- 5月18日
- 5月20日
の2本のみであった。
それ以外は、ほぼすべて
大楠公六〇〇年祭関連の記事で占められている。
■記事後半から読み取れる構造
同記事後半では、各小学校による奉賛活動が紹介され、
「神戸学校街は楠公奉賛記念で感激に溢れている」
と締めくくられている。
👉
- 組織的な参加
- 同時多発的な事業
- 表現の統一性
これらから、
一定の方針のもとで進められた取り組みであった可能性が高い。
(※指示系統は未確認)
■まとめ
今回の調査により、
- 命名は植樹式以前に計画されていた
- 児童・学校を巻き込んだ事業であった
- 大楠公六〇〇年祭の一環として位置づけられていた
ことが明らかになった。
👉
現在の風景は、当時の計画の延長線上にある。
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参考文献
・神戸新聞(昭和10年5月18日付)
・神戸新聞(昭和10年5月21日付)
・神戸新聞(昭和11年6月5日付)
・現地調査(菊水山山頂・登山道にて確認)


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