大楠公六百年祭– category –
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大楠公六百年祭
湊川公園の大楠公像はなぜ昭和10年5月なのか|3つの石碑から読み解く六百年祭
■湊川公園の大楠公像とは何か|昭和10年建立の背景 神戸市兵庫区の湊川公園には、楠木正成を顕彰する大楠公像が建てられている。一見すると単なる歴史的モニュメントに見えるが、その成立過程をたどると、昭和10年という特異な時代背景が浮かび上がる。 こ... -
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大楠公六百年祭とは何か|昭和10年の神戸と国家的行事の実像【写真・一次資料】
■ 大楠公六百年祭とは何か 昭和10年(1935年)、楠木正成の没後600年にあたり、日本全国で「大楠公六百年祭」が実施された。 『日本新聞集覧(昭和10年度版)』には次のように記されている。 日本全土の浦々に楠公祭が行はれ、殆んど前例のない盛事(出典... -
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菊水山の菊水紋はなぜ維持されなかったのか|児童拠出と構造的限界から検証
菊水山は「自然の山」ではない 菊水山は、もともと「城ヶ越山」と呼ばれていた山である。しかし現在の「菊水山」という名称や、山肌に描かれた菊水紋、そして山頂の記念碑は、自然発生的なものではない。 昭和10年(1935年)の大楠公六百年祭を契機として... -
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城ヶ越山の読みは何か|当時から統一されていなかった実態を検証
菊水山の歴史を調べる中で、ひとつの根本的な疑問に突き当たる。それが「城ヶ越山」の読みである。 一般的に知られる名称ではなく、また地図にも記載されていないこの山名は、文献によって読みが大きく揺れている。 本記事では、大正期・昭和初期の登山文... -
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城ヶ越山から菊水山へ|大正〜昭和の一次資料と現地調査で読み解く名称の変遷
※「城ヶ越山」の読みについては、大正期〜昭和初期の文献で複数の表記が確認されており、統一された読みが存在しないことが分かっています。 詳細な検証記事はこちら👇 城ヶ越山の読みは何か|大正・昭和初期文献と神戸新聞から検証 現現在「菊水山... -
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菊水山の菊水紋はこう作られた|神戸三名物に位置づけられた植樹事業
神戸市兵庫区、菊水山。現在、山頂の石碑が知られているが、その背景には大規模な植樹事業があった。 昭和10年、大楠公六百年祭にあわせて行われたこの事業は、神戸市内の小学校が総動員される形で実施されている。 さらに当時の新聞では、この菊水山が市... -
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菊水山の石碑に刻まれた「昭和10年5月」は竣工日ではない|神戸新聞から確認できる事実
神戸市兵庫区、菊水山山頂にある「菊水山」と刻まれた石碑。この石碑については、これまで刻字の「昭和10年5月」から、昭和10年建立と理解されることが多かった。 しかし、昭和11年6月5日付の神戸新聞第2面を確認すると、この理解は再検討が必要だと分かっ... -
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菊水山の石碑は誰が建てたのか|昭和10年と除幕の真実
「※本記事の内容は、その後の一次資料調査により再検討されています。最新の検証はこちら」 ↓ 菊水山の石碑に刻まれた「昭和10年5月」は竣工日ではない|神戸新聞から確認できる事実 ■ はじめに 菊水山の山頂にある石碑。「菊水山」と刻まれたこの石は、い... -
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菊水山の石碑に刻まれた謎|大楠公六百年祭記念碑は本当に昭和10年建立なのか?
「※本記事の内容は、その後の一次資料調査により再検討されています。最新の検証はこちら」 ↓ 菊水山の石碑に刻まれた「昭和10年5月」は竣工日ではない|神戸新聞から確認できる事実 昭和10年5月20日、菊水山山頂の石碑はまだ現在地になかった|大楠公六〇...
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